ここんとこ、
何人かのブロガーさんの記事を見て
育児本を久々に買おうかと
思っていたわたし。

ですが、意外に高いし
なんか前に買ってなかったかな?と、
見直してみて、
また再読しました。

AERA with Baby
0歳からの子育てバイブル







これを買ったときは娘は、
また一歳にもなってない頃。
なるほどー、と読んではいたけど
今読みなおすと、
あのときは遠い話だったことが
まさに今悩んでる真っ最中。

また新鮮な気持ちで
内容が響きました。


中でも素敵だなと感じたフレーズ。

「教育者ではなく
保護者として子どもと暮らしていこう」





なんかね、わたし、
ついつい思っていたんですよね。

なにも知らない娘に
おしえていかないと、って。

「ごはんの食べ方」
「社会のルール」
「お友だちとの接し方」

むすめは何も知らない真っ白な
状態で生まれてきた
だから、生き方を教えてやるのが親の義務だと。

もちろんそれに間違いはない。

だけど、必要以上に
「教える」必要はないのかなって。
だって、娘は自らしっかり
学んでます。

教えなくたって寝返りして
捕まりだちして、
ごはんを飲み込み、
好き嫌いまでするように。


だから、そんなに、
「親がしっかり教えなきゃ」と
思いすぎることはないのかもしれないなって。

自然が、
社会が、
ヒトが、
娘に与えてくれていることを
娘は受けて、自分のものに
していくだけ。

目で見て
耳で聞き、
頭で考えて
行動していくんですよね、
娘が。

もちろん側で見守り
サポートすることは
必要不可欠ですが。

わたしには、
娘を信じて
娘の自主性にまかせるという姿勢が
少し足りなかったのかも。



その本には
「教育者ではなく保護者として
子どもが喜ぶことを
たくさんして、
子どもの喜びを
親の喜びにする」
とありました。

言いなりになるということではなく、子どもと一緒にたくさん楽しみ、
喜びを共感すれば、
子どもは他者と喜びを分かち合うことや
ヒトと共感しながら自立していくということを
自然に学んでいくのだと。

そうして暮らすことで、
親子の信頼感が生まれ、
信頼があれば
大抵のしつけは大丈夫だと。





記事には他にもいろいろ
書いてありましたが、
あまり内容を列挙すると、
著作権とかが、
ひっかかったらあれなんで(笑)
(びびり)



あれやこれやと、
「だめ」
「それはやめて」
などと言うことが増えた今日この頃。

まずは、娘と一緒に生活を楽しんで
喜びを共感することを
第一に考えようかなと、
感じた私です。




忘れないように
記事に。







そうだ、妊娠中に読んだ
さくらももこさんのエッセイにも
似たようなことが書かれていたな。

さくらさんは
「子どもを同居人と思っています」
って感じのことを書いてたような
うろ覚えですが。

だから、
「愉快なまいにちが送れるように、子どもと楽しく暮らすんだ」みたいな。

たしか、そんなこと。

細かい表現は
忘れてしまっていて、
すみません。

それって素敵
とそのときは思ったけど
いまはすごいと思うなー


母親はやはり、
子どもを分身のような感覚で
捉えてしまうぶぶんがあって、
子どもも母親の抱っこでしか
泣き止まなかったり、
母親しか寝かしつけられなかったりするもんだから、
つい特別=通じあっている
みたいな感覚が芽生えてしまうのかなー。

だからこそ、
イライラしたり、
泣きたくなったり、する。

そんな母子の関係性のなか、
さくらさんの
考え方はすごいと思うんですよね。



でも、そう考えれば
いーんですよね、
しんどくなったら。
なかなか、そんな風には
思えませんけどね(笑)





娘とたのしい毎日を分かち合う
一緒におもしろく暮らしていく

これを忘れずにいたいなって
思います。





嫌々期、バッチコーイ!ww




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