松村友希のこれまでを語る

『ナチュラルライフへの道のり』シリーズ

 

ベルこれまでのおはなし

ナチュラルライフへの道のり ①わたしの原点

ナチュラルライフ②反抗期と登校拒否

 
あっという間の1年間のアメリカ交換留学から帰国。
 
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私が高校3年生のときに
留学から帰国して受験の年、
母はガンになり、摘出手術と抗がん剤治療を半年ほど、
そして数年に渡って休職していました。
 
 
二世帯住宅で同じ敷地に住んでいた祖母(母にとっては義理の母)は
母に献身的に看病したり
うちの家事を一手に引き受けたりしてくれてました。
 
 
 
私もアメリカから帰国後受験勉強しながらも
毎日母の様子を見に行ったり
本当に微々たるものでしたが家事や身の回りのことをしたりしていました。
 
 
母の病室で、母が眠ってるとなりで
受験勉強をしたり
塾の帰り病室によっておしゃべりして帰ったりしたのをよく覚えています。
 
 
 
でも、父はほぼ何もせず、好き勝手やっていたようです。
 
父にどこか期待を持っていた母もこのとき見放したようで
離婚を決意していたようです。
 
 
ガンは「カラダとココロが生き方を変えるように教えているサイン」
だと、何かの本で読んだことあります。
 
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母が患ったのは、女性器である卵巣。
 
私が大人になったからこそわかることなのですが
 
母は、女性であるよりも、母であること、妻であることを優先しすぎていた気がします。
 
そんな母の生き方に警鐘を鳴らすかのように大きくなった母のガン。
 
 
母がガンの検診を予約していた1週間前
卵巣の腫瘍が耐えきれなくなったのか破裂して
夜間救急で運ばれていきました。
 
 
夜中痛みに悶えてる母を最初に発見したのは私でした。
 
 
眠っていたけれど、
何か虫の知らせのようなものを感じで目を覚ましリビングに行くと
我慢強い母がうめき声をあげて痛みに耐えてました。


それから救急で病院に搬送され緊急手術。

そのまま入院し、闘病生活に入ります。
 
 
両親共に医療従事者だったので
母はセカンドオピニオン、サードオピニオンとっての
子宮、卵巣の切除、抗がん剤治療だったようです。


気丈に振舞っていたけれど、本当に本当に辛そうだった。


私は
日本の大学かアメリカの大学か・・・と決めきれず帰国し
回答を保留しながら
とりあえず日本の大学の受験勉強をしていていました。
 

ただ、母のことがあって海外の大学留学は考えられず。


6月に帰国、
単位を日本の在学していた高校と変換手続きをして7月に卒業。

8月に浪人生のような生活をしながら受験勉強を開始。

ただ、地元に行きたいと思える大学がなく
母の理解や応援もあって、
地元ではなく京都の私立大学1本に絞ることにします。


オープンキャンパスに参加したとき
「あ、わたしここで学生生活をしたい!」と思ったのがきっかけ。
当時学びたいことは関西の私大ではその大学のある学部でしか学べなかったのも決め手です。


ただ、結果及ばず、第一志望の学部には
複数の入試方式でチャレンジしましたが結果が残せず
受験申し込みギリギリで決めてた第2志望の学部が合格。
 

センター試験の結果でそのまま合格判定できる・・・という方式のものだったので
実際その学部の試験は受けていないのに合格通知を受け取り
なんとも変な感じだったのを覚えています。



抗がん剤治療をしている母を置いて県外の大学なんて・・・という人もいるかもしれませんが
私の場合は「行きたい!」と気持ちがかってしまって
母といえど、家族のために自分のやりたいことを我慢することがしっくりこなかったのでした。
 

大学の進学費用は両親にだしてもらってるので、なんともわがままな娘ですがっ



そんなわがままな娘でも、
親を説得して高校でアメリカに単身1年も留学した前科があるので
両親も少しは免疫ができたのか
京都の大学への進学はまったく反対されず

「むしろ海外や関東に比べたら、関西なんてめちゃ近いじゃん。
京都いいところだし、遊びに行くね!
という超ゆるい感じでした(笑)
 
 
母なりに、その時できることの精一杯を与えようとしてくれていたのかなと
今、自分が親になるとひしひしと感じます。
 
 
 
受験生の最も大切な筆記試験の一つといえるセンター試験では
私は自身の過去の記録を大幅に超える過去最高得点であり、
希望する学部の昨年度の基準値を超えていたので
緊張してたのがぐっと緊張が溶けて
母の前で泣きくずれ
母にハグされながら
「よくがんばったね」
と言ってもらったのを鮮明に覚えています。
 
(昭和な母で、子どもの時褒められた記憶がほとんどなかったので
このことはとても鮮明に覚えています。)
 
 
…でも、結局その年の合格のボーターが高くて
第1志望の学部には結局落ちたんだけどね。。。苦笑
 

センター試験をやり切った私は気持ちが不安定で、
身体の倦怠感も続き、勉強に集中できず、
私立の一般試験の時は抜け殻の様になっていました。

(そのおかげで、夫と出会い、今があるので
運命とは不思議なものですが。)


病気とまではいかないけど、
私自身、生理痛やPMS、頭痛などに悩まされ
頑張りたいけど、頑張れない、
踏ん張りたい時に踏ん張れない、
体調に左右されてしまう受験生でした。


 
母は抗ガン剤の治療の合間に
髪の毛が抜けていたのでカツラをつけて
大学の入学式に一緒に参加してくれました。
 
 
 
入学式の前日、
私の下宿先で母と寝ていて
偶然母と母の友人のメールのやりとりを見てしまい
父と母の不仲の原因
経済的な理由で私が大学卒業したら離婚をするつもり
ということを知ります。
 
母が自由に幸せに生きる生き方を邪魔してるのは
私自身であると悟ってしまうのです。
 
 
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