弟から始まって
私のここ20年近くは
たえず家族の誰かを支えてきた(弟、おかん、おとん、伯父は少し)

それは自分私が
したいからしていた。
伯父の場合はする人がいなかったのと介護関連の人たちがお身内でしょう等とつきあいもしていないなか言うてきた)


自分がしたいからしていることでも 相手がいることだから

自分がしたいようにするだけではなく


弟の時は
相手の思い等も尊重しながらしないとそこで摩擦がうまれる


この頃まわりの人から
これからは自分の為に生きて。

等と言われたり
今回のことも役所はおとんに


お姉さんの今後のことなど
言うてたのは
おとんの表情からよみとれていた。


私は自分の人生を大切にしないとは
言っていない

自分の人生を大切にしながら
おとんの最期の人生
おかんのやり残したこと願い

私の前世からの課題
(家族を助けれなかった)

を成し遂げたかった。


ただ誰もそこに
協力をしてくれることが
専門家、福祉関連
医療 介護関係の人がまわりにいなかった。

私とおとんの気持ちを理解してくれる人が。
そういう行政
本来の福祉とは何か?
を身に付けていない
人を 箱にいれたらそれで終わりの人権侵害をする行政区間にいた。



おとんはただ単に 生きていたいから
生きていたのではない


おとんが言ったこと
お前が結婚するまでは
おとんは死なれへん」


これは 親以外身近で私の力になってくれる人に
バトンをたくしたかった
のがおとんの願い。



私は一人行動するけど
いざとなった時にテンパるし私生活では計画性がないし
そういう面で
おとんやおかんがあたしを間近にみていて心配だったのと

生活面で いろんなことを一人でできないことを親目線でみているから。
おとんはバトンを託す人ができたら安心してこの世から去れると思っていた。

私は結婚する気等
さらさらないから
「私が仕事で成功したらに変えて~」とはおとんに伝えていたけど


おとんの想いは私はわかっていた。


まわりの福祉や介護関係 医療関係者が個人や家族の想いを無視。

全ては
自分達の保身のためだけに





苗加病院のソーシャルワーカーさんがおとんのこと


「ほんまにお父さんよく頑張っている」と。



それを成年後見人まちの為に

自分達があの病院に連れていったのに

全て他人の責任や
自分達の責任逃れをするために
一切動かなかった

#尼崎市市役所
ならびに
関係各所を許すことはない。

どんな形でも
それなりのものがくると
私は思っています。