子どもたちを守るために謝るということ | 青色ミカンのブログ

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まだ青色なミカンがぼやくぶろぐ。

今日、ひさしぶりに息子が通っていた保育園の前を通った。

保育園の騒音に悩み、園長たちに苦情を言われていたAさんのお宅も見えた。

Aさんはお元気にされているだろうか。

 

当時、Aさんの度重なる苦情に園長は悩み、恐れ、先生方もストレスを抱えていた。

保護者会では、警察に頼むとか屈強なお父さん方が抗議するとかいろんな声があったが、それは一時しのぎ。

私は、これ以上Aさんを追い詰めるべきではないと考えた。

まず、今までにAさんに謝罪した人はいるのだろうか。

子どもたちの元気な声であっても、Aさんにとっては睡眠を妨げる騒音であることは事実。

謝罪をしてからでないと、こちらのお願いも聞いていただけない。

保護者会長だった私が謝りに行くことにした。

当時Aさんは、怒ると何をするかわからない人のように言われていたから、当然こわかった。

知り合いの民生員さんに立ち会いをお願いした。

あの日、私は、子どもたちの安全が守れるなら、土下座してでもお許しいただきたいと覚悟していた。

 

お詫びに伺ったことを伝えると、Aさんはとても紳士的で、被害を淡々と説明してくださった。

誰かがAさんの声を真摯に受け止め、謝罪していたなら、あんなにこじれることはなかったのだ。

 

今にして思えば、土下座する気で臨んだ私は考え過ぎだったかもしれない。

一方、子どもたちのために謝りに行けた自分を誇らしくもある。

 

誇らしい…?いや、そんなことはない。

子供を守る大人として当然のことをしただけなのに、おこがましいことを考えてしまったのは、きっと最近のニュースのせいなのだろう。