川内原発と安倍首相に必要なもの? | misaのブログ

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8/12 植草一秀氏の『知られざる真実』より
だいぶ前から抜かれている安倍首相の制御棒

矛盾あるものは必ず崩壊する。

株価バブルが崩壊するのは、株価に矛盾があるからだ。

いま、その矛盾の象徴が安倍政権。安倍政権の存在そのものが矛盾なのである。

矛盾その1

民主主義の国家であるのに、主権者国民の意思が政治に反映されていない。

原発にしろ、集団的自衛権にしろ、TPPにしろ、決定権を持つのは主権者国民である。権利を持つ主(ぬし)が主権者である。

安倍晋三氏は、「私が総理大臣なんですから」と言うが、この言葉より「私たちが主権者なんですから」という言葉の方が重い。

内閣総理大臣は、国民の上ではなくで、国民の下に位置する存在であることを、安倍氏は知らないようだ。

恐らく、日本国憲法も、ポツダム宣言と同様に、つまびらかに読んだことがないのだろう。

矛盾その2

国民多数の支持を得ていないのに、独裁権限を与えられていると勘違いしている。

ものごとを決める際には「多数決」を用いることが多い。しかし、多数決は万能ではない。

日本国憲法前文に、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とある。

国会における多数決原理の活用は「その権力は国民の代表者がこれを行使し」に基くものだが、その大前提には、「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるもの」ということがある。

国民の意思こそ、政治決定において、何よりも尊重しなければならないことなのだ。

国民多数が反対している原発を稼働させること、国民多数が反対している憲法破壊の集団的自衛権行使容認を強行することは許されない。

矛盾そのものだ。

矛盾その3

憲法を改定することが難しいから、憲法の解釈を変えてしまう。

これが許されるなら、憲法など無意味な存在になる。

斎藤美奈子さんが中日新聞の「本音のコラム」で「制御棒なき社会」と題する記事を寄稿され、

「原子炉の制御棒にあたる権力の制御棒は、いうまでもなく日本国憲法だ」

として、

「制御棒が抜かれた状態なのは川内原発だけじゃないものね」と指摘されている。

http://pbs.twimg.com/media/CMKLj_NUkAEulEG.jpg

憲法は政治権力を縛るために存在するが、その憲法を政治権力が亡きものにしてしまうというのだから、これ以上の矛盾はない。

そして矛盾その4

日本の総理大臣が、まだ日本の国会に提出もしていない法案の成立を、アメリカの議会に行って約束してしまう。

これは矛盾を超えて犯罪に近い。

この矛盾ある存在、あるいは矛盾そのものである安倍政権は、かならず崩壊する。

それが「理」である。

8月8、9日実施の毎日世論調査では、内閣支持率が32%になった。

政権危機の20%台突入は時間の問題だ。

この機会に、日本最大の矛盾を解消しておくことが、日本国民にとっての災い回避の方策だ。

8/13 『知られざる真実』より
鳩山元首相が示す正しい歴史への向き合い方

歴史に向き合うとはどのようなことか。

歴史の真実を見つめ、その真実に基づいて自省し、未来に向かくことである。

歴史から目をそらし、自己を正当化して、未来を誤ることではない。

敗戦50年の節目に、村山富市首相が「談話」を発表した。

国会決議は行われなかったが、日本の戦争責任を明らかにしたものである。

「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」の文言が明記された。

歴史に向き合い、未来を切り拓くための「談話」であった。

この「村山談話」によって、歴史問題には一つの区切りがつけられた。

この「談話」を踏まえて、日本は近隣諸国との友好関係構築に力を注ぐべきである。

ところが、安倍晋三氏がこの問題を蒸し返した。

新たに「談話」を発表することを表明し、そのなかで、「村山談話」に明記された「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」の文言を除去したいとの思惑が示されてきた。

これは、正しい歴史への向き合い方ではない。

過去の過ちを正視し、それを認めたうえで反省し、謝罪する。

そして、正しい未来を構築することを指向する。これは間違った行動ではないのだ。

その正しい歴史への向き合い方を否定し、自己正当化に走っても、得るものは何もない。

鳩山友紀夫元首相が8月12日、日本が朝鮮を植民地支配した時代に独立活動家を収監したソウルの西大門刑務所跡地を訪問し、独立活動家らをしのぶ記念碑に献花したうえで、靴を脱いでひざまずき、7秒間合掌した後に頭を下げた。

鳩山元首相は内外の記者団に

「(植民地統治をした日本が)拷問というひどい仕打ちを与えてしまい、命を奪うことまで平気でやったことに、心からのおわび、追慕の思いをささげたい」と述べた。

また安倍晋三首相が発表する戦後70年談話について「植民地統治や侵略、それらへの反省と謝罪が当然含まれなければならない」と述べた。

これこそが、歴史に向き合う正しい姿勢である。

歴史に向き合い、過去の過ちを反省して謝罪する行為は、賞賛こそされるべきものであって、避難されるべきものでない。

反省し、謝罪する行動は、自信と勇気がなければできないことである。

自信と勇気がない人間は、過ちを過ちとして認めることもできなければ、反省し、謝罪することもできないのだ。

真実を正視し、認めるべき過ちを認め、反省し、謝罪する。

このことによって、和解が成立するのである。和解によって、未来が開けるのである。

米国の映画監督であるオリバー・ストーン氏が一昨年の8月6日、原爆の日に広島で講演した。

オリバー・ストーン氏はこう述べた。

「第二次大戦で敗戦した2つの主要国家はドイツと日本だった。両者を並べて比べてみよう。

ドイツは国家がしてしまった事を反省し、検証し、罪悪感を感じ、謝罪し、そしてより重要な事に、その後のヨーロッパで平和のための道徳的なリーダーシップをとった。

ドイツは、60年代70年代を通してヨーロッパで本当に大きな道徳的な力となった。

平和のためのロビー活動を行ない、常に反原子力であり、アメリカが望むようなレベルに自国の軍事力を引き上げることを拒否し続けてきた。

2003年、アメリカがイラク戦争を始めようというとき、ドイツのシュローダー首相は、フランス、ロシアとともにアメリカのブッシュ大統領に“No”と言ったのだ。

しかし、第二次大戦以来私が見た日本は、偉大な文化、映画文化、そして音楽、食文化の日本だった。

しかし、私が日本について見る事の出来なかったものがひとつある。

それは、ただのひとりの政治家も、ひとりの首相も、高邁な道徳や平和のために立ち上がった人がいなかったことだ。

いやひとりいた。それは最近オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人だ。」

オリバー・ストーン氏が「いやひとりいた」と述べた、その元首相こそ、鳩山友紀夫氏である。

8/15 『知られざる真実』より
大山鳴動鼠零匹安倍談話と戦争法案の矛盾

敗戦から70年の時間が経過した。

しかし、8月15日は昭和天皇による「大東亜戦争終結ノ詔書」朗読音声が放送された(玉音放送)日であって戦争が終結した日ではない。

日本がポツダム宣言を受諾して降伏することを決定したことが公表されただけである。

日本が降伏文書に署名したのは9月2日であり、戦争終結は9月2日とするのが正しい。

敗戦の日は9月2日とするのが正しい。

重要な歴史期日が粉飾されることは望ましいことではない。

敗戦70年に際して、安倍首相が談話を発表した。

閣議決定せず、首相談話として発表することが検討されたが、閣内不一致の批判を受ける可能性が高いことから、閣議決定する道が選ばれた。

「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」の言葉が盛り込まれたが、安倍首相の言葉として表出されるものにならなかった。

日本の過去の歴史を直視し、事実を認め、その事実に対する態度を示すものでなかった。

この意味での談話はすでに20年前に、村山富市首相にが発表している。

村山談話では、日本の過去の行為として、侵略・植民地支配を認め、このことについて、痛切な反省と心からのお詫びを述べたものである。

この村山談話によって、日本の戦争責任についての言及は総括されたのである。

安倍首相は村山談話を否定するために70年のこの年に談話を発表する意向を示したのだと考えられる。

村山富市元首相は「村山談話を継承する」なら、基本的な事項を省くことはおかしいが、安倍氏は本音では、「侵略」や「反省」「おわび」を認めたくないという心理をもっているのではないか」との疑念を示していた。

ところが、安倍政権が戦争法案を推進するなどの暴走を繰り広げるなかで内閣支持率が急落し、いよいよ赤信号が灯る20%台に突入する様相が示されている。

安倍首相は当初の意向を撤回さざるを得ないところに追い込まれた。

安倍政権を支えているのは公明党である。

公明党は村山談話を継承する表現を盛り込まなければ談話を了承しない方針を明示した。

安倍首相は閣議決定ではなく首相個人の談話発表で意向を貫くことを検討したが、談話発表後に閣内不一致を追及されることは必定である。

公明党の連立離脱という事態さえ想定しなければならなくなる。

それは、安倍政権崩壊を意味することだ。

結局、追い込まれた安倍政権が、村山談話の四つのキーワードをそのまま用いるところにまで追い込まれたのである。

しかし、安倍談話は四つのキーワードを盛り込んだとはいえ、その言葉は安倍首相の認識、心を表現するものになっていない。

第三者が心も込めず、状況を記述するだけのもので、まったく意味のない談話になったと言える。

大山鳴動してネズミ一匹も出ず、ということになった。

安倍談話の最大の問題は、「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

と述べておきながら、国際紛争を解決する手段として武力を行使する集団的自衛権の行使を容認する戦争法案を推進していることである。

こうした二枚舌、二律背反、言行不一致が、国民の不信感を増幅させているのである。

敗戦から70年を迎えるいま、日本がまずやるべきことは、戦争推進の戦争法案を完全廃案に追い込むことである。

<転載終わり>

鳩山さんと安倍さんのお辞儀の違い↓

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安倍さん、愛がなぁ~い!!

きっこさんのTwitterより↓
『戦後70年談話で「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と明言した安倍晋三に問う。

使用済み核燃料の処分方法が見つからないまま原発を再稼動し、未来の人たちに「核のゴミ」を押し付けても構わないのか? 』

☆☆☆<転載終わり>☆☆☆

桜島が大噴火しそうだし、川内原発にも安倍さんにも制御棒を入れて欲しいです。

それから、全く違う話題ですが、ついに『日月観音様』の御尊顔が蓮ねさんのブログで初公開されてます!

すごくパワーのある観音様なので、是非拝みにいかれて下さいね。

それと、蓮ねさんの疑問について解る方、教えてあげて下さい。お願いします。

蓮ねさんのブログ

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