『真理は何もかもなくなったところにある』



という話を去年の春くらいに
カテキョに聞いた。
どういうことだろうと考えてきた。

「現実」と認識しているものは
自分が作っている世界だ。
そこに「真理」はない。

だから自分が認識している
「現実世界」の「外」に
真理はあるということじゃないか?

玉ねぎの本質は
玉ねぎそのものだ

という話。
玉ねぎを存在させているのは私だ。
だったらそれは玉ねぎじゃなくて
私だ。

じゃあ玉ねぎはどこに?
玉ねぎの外だ。

つまり剥ききって何もなくなったところ。

ということが急に理解できた。