Crystalの欠片〔8〕
「・・・・・落ち着いたようだな?」
くっくっとおかしそうに笑う声が耳に響いて、キョーコはぱっと手を放した。
「あ・・・・・・・・・ ごめん、なさい…」
「良い。嫌われていないようで結構なことだ。妻に嫌われたとあれば魔王の名折れだからな。
どうせなら、もっとしがみついていても構わんが?」
そんな戯れを口にして、紅蓮王はキョーコの体を密着させるようにぐいぐいと引き寄せる。
天界でそんなやりとりとは無縁だったキョーコは、慌てて腕を突っ張り逃げようとした。
「ちょ、ちょっと・・・」
「うん?」
もぞもぞと逃げようとするキョーコを紅蓮王は離さない。
それどころか人の悪い笑顔でキョーコの顔を覗き込んでいる。そのあとも、人前にも関わらずその腕をキョーコに絡ませ、髪をもてあそび、真っ赤になってうつむいた顔を上向かせ、顎から頬を長い指でなぞり…。見ているだけで恥ずかしくなるようないちゃつきっぷりを披露している。キョーコは恥ずかしさに湯気でも吹きそうな顔で目を回している。
「社さん・・・・ 紅蓮王、様・・・って、あんな風にいちゃつくの…?普段と人格変わってない?ってか、見せつけて楽しんでるわけ?よくあんなのの側近つづけていられるものだわ。尊敬もの…って、あ。もしかして、側近のあなたも十分変態だったりするわけ?でなきゃあんなのと長く一緒にはいられないわよねぇ」
砂という砂を吐き出して、うへぇと言いながら奏江が嫌そうに顔をしかめた。社はふぅ~ぅと遠い目で答える。
「勘弁してよ奏江さん。俺だって初めて見たんだ。驚愕だな・・・・・・・・・とはいえ、彼女がかわいそうになってきたからそろそろ止めないとなぁ…」
「あら、いいんじゃない?私たちが席を外せばいいだけのことでしょ。もうあの子も落ち着いたみたいだし」
「あ、そうだよ!肝心なことを忘れてた!そもそもなんで部屋がこんな有様になったんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・~~~~~」
半分自分のせいだと言うのが嫌ではあったが、しぶしぶ奏江は事のあらましを説明した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・つまり、彼女が堕天した理由がそれ、ってことか・・・・・」
「びっくりしたわよ。さっきまで正真正銘の天使にしか見えなかったのに、荒れ始めたときのオーラはひっくり返ったみたいに真っ黒で、一筋の光も感じられない…なんて・・・」
「うーん・・・・・」
困ったように社がこめかみを掻いた。
「・・・・・・・・・・世話役、には奏江さんがピッタリかと思ったんだけど、なぁ・・・・・。っていうか、今でも適役は君以外思いつきもしないんだけど・・・・・こんなん見ちゃったら、無理強いもできないなぁ。・・・どうしよう?やめとく?奏江さん」
やめとく?
社の言葉がなんだかずっしりと胸に落ちた。
(そうよ。やめてやる。やめてやるわ。せっかく社さんが気を使って聞いてくれてるのよ。ここでやめたほうが私のためよね)
最初からそう思っていたし、そうすることが利口だと思っている。
危険なことにわざわざ自分から首を突っ込む趣味はないし、自分のことが世界で一番大切だと思うなら、報酬をもらえなくてもこの仕事は断っておいた方がいい。
なのに ・・・・・・
(あああああ。もー・・・・・っ・・・・ どうして私が、初めて会った元天使の心配なんてしなきゃいけないわけ?)
あの純粋な光をあそこまで黒く塗りつぶすには、いったいどれほどの罪と歪みが必要なのか。
泣き崩れるもろい姿が奏江の脳裏にちらついて離れない。
本当は断ってしまいたいのに。
「・・・っ・・・・・あの天使の話し相手にならなきゃ・・・・・・・・・・報酬・・・・・もらえないんじゃないの・・・・・っ!??」
「え、いや・・・・・・・・・・あの、奏江さん・・・・・?」
奏江の予想外の返答に目を丸くする社。
「・・・・・・奏江さん、引き受けてくれるの?」
「仕方ないでしょ!そうしなきゃ報酬がもらえないんだから。いいわよ、やってやるわよ。仕方ないわね!その代り、やるんだから前払いしてよね」
ふんっ!
そっぽを向いて見せるけれど、その頬は真っ赤だった。
こうして、一人の堕天使に一人の世話役がつくことになった。お互いの良き理解者になるべくして。
その世話役の最初の仕事…魔王に翻弄された堕天使の熱が引くまで看病する、という仕事に奏江はさっそく大きなため息をついて、自分の判断は間違っていたのではと頭を抱えたという。