厚く湿っぽい、ねずみ色の雲が空を覆っている。

「目の前の敵にばかり気をと取られるな。お前たちが戦っているのは、あくまで軍だ。怯まず、訓練通りに動け!」

家臣たち「はっ!」

鉄砲隊が火を噴き、雷のような唸り声と共に鮮血が散る------そんな地獄絵図にも似た戦場にくまなく目を走らせながら、光秀は違和感を覚えていた。
(------現状では、こちらが優勢。このままいけば、日が落ちる前には決着が着くはずだ。だが・・・・・・何かがおかしい)

包囲し、敵兵の戦意喪失を狙ってとっている衡軛(こうやく)の陣に、大きな乱れは見られない。しかし、何故かその包囲網は寸前のところで形を乱す。
(まるで俺の目を掻い潜るように、巧妙に策がみだされている感覚だ)

・・・・・・間者か?」

光秀が目を細めたその時------

・・・・・・!」

雨粒が、強く光秀の頬を打った。それはすぐさま勢いを増し、戦場に降り注ぐ。
(まずいな。この陣形は------前方以外がすべて弱点となる)

「鉄砲隊、下がれ。後方に構えた弓兵は前進。敵の足を止め・・・・・・」

敵将「お前ら、今だ!突っ込め!」

敵兵たち「おう!」

・・・・・・仕掛ける機会を窺っていたか」

光秀は迅速に立て直そうと指示を出すが、その前に敵兵が鉄砲隊を囲むように突撃してきた。

光秀の家臣1「くそっ、いつの間に・・・・・・」

「怯むな。背を見せれば、あいつらに飲み込まれる。信念を盾として乗り切れ。泰平の世の実現のためには、お前たちの命が必要だ」

家臣たち「っ、はっ・・・・・・!」

勇ましい言葉に鼓舞されたように、家臣たちは目の色を変えて力強く頷く。
(ああ、そうだ。逆風の中でこそ抗え)

敵兵「明智光秀、覚------ぐぁっ・・・・・・!」

光秀も鋭く目を細め、敵兵たちを次々に切り伏せながら、戦場を駆けた。

その時------

光秀の家臣2「光秀様!」

・・・・・・っ!」

・・・・・・

陽が山陰に落ちた頃、雨は止み、一時休戦となった両軍はそれぞれ本陣へと引き上げた。

兵士「ゆう、様・・・・・・」

ゆう「はい、今行きます!」

光秀が天幕の中に戻ると、そこには慌ただしく負傷兵の世話をするゆうの姿があった。
(笑みを浮かべてはいるが、顔色は良くない。・・・・・・これ以上、心労をかけない方が良いだろう)

酷く熱い腹部に視線を落とし、光秀は眉を寄せる。


------

光秀の家臣2「光秀様!」

「・・・・・・っ!」

(矢が------)
混乱に乗じて放たれたそれは、光秀の腹部を切り裂いた。

「っ、く・・・・・・」

光秀の家臣2「なっ・・・・・・ご無事ですか?」

「ああ、大したことはない。それより、まずはこの状況を生き延びることだけを考えろ」

------


(敵を一手に引き受けておきながら、情けない。だが------止血はしておいた。致命傷になるほどの深い傷でも無いだろうし、隠しておける)

ゆう「光秀さん!」

・・・・・・ん?」

黙考していると、光秀が入ってきたことに気付いたらしいゆうがばたばたと駆け寄って来た。

ゆう「お疲れ様です。どこも怪我はありませんか?」

「ああ、もちろん。それよりも・・・・・・まずは、俺でなく自分の心配をすべきだな」

「え・・・・・・?」

首を傾げるゆうの額にかかった髪を、光秀はさらりと払った。
(・・・・・・やはりな。近くで見れば見るほど、良い顔色はしていない)

「少しは休め。その調子では身体が持たないだろう」

ゆう「そ、そんなことは・・・・・・」

「ない、と言いきれるのか?」

ゆう「・・・・・・」

光秀の質問に、ゆうは言葉を探すように口を閉ざす。
(・・・・・・ああ、分かっている。苦しんでいる者を前にしておきながら、弱音など吐けないと思っているのだろう。まったく------他人に寄り添え過ぎるというもの、困りものだ)

「とにかく、お前が何と言おうと少しは休んでもらう。これは甘やかしでもなんでもなく、武将としての判断だ。明日も戦がある。頼りになる者には、是非引き続き手伝いを頼みたいからな」

ゆう「わかりました。・・・・・・それじゃあ少しだけ」




「聞き分けが良いな。いい子だ」

光秀はそのまま頭をひと撫ですると、ゆうの手を取り、天幕をあとにした。

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別の天幕へ移ると、緊張の糸が切れたのか、ゆうは深く息を吐き出した。光秀はそれを見て、かすかに乱れた髪を優しい撫でる。

ゆう「っ、光秀さん・・・?」

光秀「何だ。聞き分けが良い子の頭は、撫でたくなるものだろう?それに・・・・・・一日、よく頑張ってくれたな」

柔らかな声音で伝えれば、ゆうはたちまち安心したように目を細めた。
(子猫・・・・・・いや、子犬か。人懐っこくて警戒心がないというのは、愛らしいものだ)

↑↑↑なんか子犬、久々だな(笑)

それにつられるようにして、ふっと笑むと・・・・・・ずきりと腹部に痛みが走る。光秀は呼吸を浅くするようにして、それを顔に出すまいと口角を上げた。

ゆう「・・・・・・あの」

「何だ?」

ゆう「戦場で・・・・・・本当に何もなかったんですか?」

「その質問には、さっき答えただろう」

かわすように返すと、光秀は不安げな表情を浮かべるゆうの顎をすくい取り------そのまま、言葉を飲み込むように唇を奪った。

ゆう「っ、ん・・・・・・」

掠れた甘い息を漏らすゆうの唇は、わずかにかさついている。光秀はそこに水分を与えるように、熱い舌でなぞり上げた。それだけで、ぴくりとゆうの肩が跳ねる。

ゆう「ふ、ぅ・・・・・・っ」

(・・・・・・そうだ。そのまま、些細な心配事など忘れてしまえ)
熱い吐息を貪るように、より口づけを深めようとした時------

ゆう「み、つひでさんっ、誤魔化さないでください・・・・・・!」

・・・・・・ゆう」

とんと胸を押されて、あっけなく唇が離れた。わずかに濡れた唇を震わせて、ゆうはじっと光秀のことを見つめる。
(やはり鋭いな、この娘は。俺に関わること------特に俺にとって良くない状況であることを隠されるのが嫌いな質(たち)だ。だが、お前のためにも言うわけにはいかない)

光秀は余裕な素振りで手を伸ばし、あやすようにゆうの頬を撫でた。

・・・・・・ひとつ、これだけは言っておく。俺がお前を信頼できないから何かを秘密にする、ということは決してない」

ゆう「そうじゃなくて・・・・・・」

兵士の声「光秀様。今よろしいでしょうか」

ゆうが何かを言いかけようとした瞬間、それを遮るように外から声がかかった。

光秀「どうした」

兵士の声「秀吉様と三成様が、明朝からの戦についてお話しがあるとのことです。それと------負傷している者が多く、手当に当たれる兵士が不足している状況です」

「分かった。すぐに行く」

兵士の声「はっ。それでは、失礼いたします」

ぬかるんだ土を踏みしめる兵士の足音が遠ざかっていく。
(やはり・・・・・・こちらは相当痛手を負ったな)

先程の戦況を脳裏に浮かべていると、ゆうはまだ濡れている光秀の袖を掴んだ。

ゆう「・・・・・・日が暮れる前に、いきなり大雨が降りましたよね。それで負傷している方が多いんですか?」

「そうだ。天候ひとつで、戦況というものは左右されるからな」

ゆう「光秀さん。やっぱり・・・・・・私、戻ります」

(・・・・・・ああ、ゆうならそう言うだろうと思った)
光秀を見上げるゆうの目は、薄暗い天幕の中でもわかるほど強い光を持っている。

(この判断を俺が下さねばならないとは、なかなかに残酷だな。ゆうを休息のために引き止める言い分は、いくつもある。だが・・・・・・愛しい者の決意を、無下に出来る男がどこにいる)

「分かった。だが、くれぐれも無理はしないことだ。お前が倒れては元も子もない。・・・・・・いいな?」

ゆう「はい、わかりました!光秀さんも・・・・・・倒れてしまったら、元も子もないですからね」

ゆうはしっかりと頷き、何度か光秀を振り返りながらも小走りで天幕を出て行く。
(まったく・・・・・・平気で無茶をする娘だ。なんて、人のことは言えないな)

ひとりになった天幕の中で、光秀は己の傷をひと撫でして深く息を吐き出した。
(無事に安土へ戻ったら、たんと甘やかしてやろう)

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幕の中に入ると、本陣には既に秀吉と三成の姿があった。

三成「光秀様。お疲れ様です」