幕に入ると、本陣には既に秀吉と三成の姿があった。
三成「光秀様。お疲れ様です」
「ああ。三成もご苦労だった」
(・・・・・・ん?)
小さく頭を下げる三成の横で、秀吉は苦渋の表情を浮かべている。
「どうした、そのように苦々しい顔をして」
秀吉「さっき、兵士たちから話を聞いた。雨で陣形が崩れた時、敵兵に囲まれたんだろ?」
「ああ、そのことか。だからどうした?」
秀吉「俺の指揮する隊のものも、あそこにいたんだ。敵をほぼお前が引き受けてくれたおかげで、助かったと感謝していた」
秀吉「・・・・・・世話になったな」
「そうか。大したことじゃない」
(将であるからには、敵が俺に集中するのは当然のことだ。こいつは相変わらず大真面目だな)
光秀「それよりも、他に話すべきことがあるだろう」
光秀は話を切り替えるように、台の上に広げられた紙に目を落とした。敵軍の情報が書かれたものと、このあたりの地形をまとめたものがすでに用意されている。
三成「・・・・・・何か、おかしかったですね」
「気付いていたか」
三成「はい。間者の仕業でしょうか?」
「ああ。断言出来る情報も、それらしき人物も近しい者にはいないが・・・・・・こちらの兵士が直前で寝返った可能性はないとは言い切れないな」
秀吉「っ、くそ・・・・・・」
「それに加えて、先程の驟雨(しゅうう)でこちらも痛手を負った。まだ雨雲が厚いのを見るに、明日も今日と同じ状況に晒される可能性が高い。
秀吉「鉄砲隊が動きを封じられると、厄介だな」
三成「ええ。・・・・・・何か、策を講じなければ」
三人が、顔を見合せ頷いたその時------
兵士の声「誰か!誰か来てくれ!」
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「何があった」
兵の声を聞きつけ幕の外に出ると、声の主が慌てた様子で駆け寄って来た。
兵士「大変です。火薬が・・・・・・!」
「・・・・・・これは・・・・・・」
地面には、補給のために天幕の中で管理されていた火薬がばらまかれていた。
(例の裏切り者の仕業か)
「まいた者の顔は見たのか?」
兵士「い、いえ、この暗さでは良く見えず・・・・・・夜闇にまぎれるようにして、逃げられてしまいました」
「そうか、ご苦労だった。では、もう下がれ」
光秀の言葉に、兵士は頭を下げすぐに立ち去る。
三成「・・・・・・これは、随分と派手にやられてしまいましたね」
秀吉「ああ。湿って、もう使い物にならないな」
「こちらをより不利な状況に立たせたいのだろう」
人を動かす戦場において、裏切り者が出るということは必ずしもないとは言えない。だからこそ光秀は目を鋭く細め、冷静に頭を動かした。
(そこまで時間は経っていない。まだ犯人は近くにいるだろう。それが仮に寝返った兵士だとすれば、逃げ場は・・・・・・)
「・・・・・・紛れ込み、誰もそれを疑わない天幕の中」
秀吉「光秀、どうした?」
「ふたりとも、ここは任せたぞ」
秀吉「え?あ、おい・・・・・・!」
光秀はすぐさま踵(きびす)を返すと、負傷者が運ばれる天幕の方へと急いだ。
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「ゆう!」
ゆう「え・・・・・・光秀さん?」
ゆうは、駆け込んできた光秀に目を丸くした。
ゆう「どうかされたんですか?」
「・・・・・・いや、何でもない。人手は足りているかと様子を見に来ただけだ」
ゆう「なるほど。だいぶ手当の方は終わったので、大丈夫だと思います」
「そうか」
向けられた笑みに、光秀は胸を撫で下ろす。
(無事か・・・・・・だが、油断は出来ない)
「ゆう。一段落ついたのであれば、今夜はもう休め」
ゆう「はい、ありがとうございます。光秀さんはどうされるんですか?」
「軍議があってな。だが、入り口に見張りを立てるから安心しろ」
ゆう「・・・・・・わかりました」
「ほう、何やら言いたげな顔だな。そんなに俺がいないと寂しいか?」
ゆう「い、いえ。ひとりでも大丈夫です。ただ・・・・・・私にも言ったんですから、光秀さんも無理はしないでください」
ゆうは複雑そうな顔で告げると、それを誤魔化すように近くの桶を持ち上げた。そこには、汚れた手拭いが集められている。
「最後に、これだけ水につけてきます」
ゆう「すぐ外にあるので、少しだけ待っててください」
「ああ、わかった」
光秀が頷くと、ゆうは桶を抱えて天幕を出て行った。すると、ひとりの負傷兵が何やら不安げな顔で光秀に声をかける。
負傷兵「光秀様。私たちが劣勢にあるとは、本当でしょうか?」
「・・・・・・誰から聞いた?」
負傷兵「先程天幕の中に来た足軽が、そう申していたのです。『この戦は負けに終わる』・・・・・・と。何やら、汚れた手拭いをいくつも抱えてゆう様に洗うように指示も出しておりました」
「・・・・・・!」
(まさか・・・・・・)
光秀はきっと眉を寄せて、すぐさま天幕を出た。
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「・・・・・・やられたか」
表にはもう、ゆうの姿はなかった。篝火が照らす地面には、手拭いの入った桶が転がっている。それを拾い上げようとしたところに、慌てた様子の三成と秀吉が駆けつけた。
三成「光秀様!混乱に乗じて馬が二頭、何者かに盗ませました」
秀吉「奴らは裏の森に入って行ったらしい。恐らく、火薬の件と同じ奴が・・・・・・」
秀吉は言葉を切って、それからあたりを見回す。
秀吉「------何があった」
「ゆうが連れ去られてな」
秀吉「! 何・・・・・・!?」
「犯人は足軽だ。少なくとも、ひとりやふたりではない」
(だが、人数などは関係ない。巻き込まれた原因はすべて、俺自身にある)
光秀は激しく脈を打つ心臓を落ち着かせようと、深く息を吸い込んだ。沸き立つ怒りを自身にぶつけるように、爪が食い込むほど拳を強く握る。
(今解決すべき問題は三つ。だが幸いにも、ここには織田軍屈指の武将がふたりいる)
「・・・・・・秀吉、三成。頼まれてくれるか」
秀吉「ああ、当然だ。さっさと行け」
三成「お任せください。光秀様、どうかお気をつけて」
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再び降り出した雨が、まるで視界を遮るように、闇夜に幾筋もの糸を垂らす。全速力で馬を走らせているせいか、腹部の痛みは増していく一方だった。それでも、光秀は鬱蒼(うっそう)と生い茂った木々の間の細い道を駆け続けていく。
(ゆうを連れ去った目的は、おそらく俺をおびき寄せるためだろう)
光秀は先程本陣で見たあたりの地形を思い出し、必死に思考を巡らせた。
(ならばどこか・・・・・・開けた場所に出るはずだ)
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(------当たりか)
光秀は馬を止め、木の陰から覗く。ゆうは特に抵抗するでもなく、大人しく男たちに見張られる形で座っていた。
男1「おい、これで本当にあいつは来るのか?」
男2「ああ、見捨てるはずがねえ。何たって、この女はあの狐の寵愛を受けてるからな。それにこれが成功すりゃ、あいつを討った手柄で俺たちは大儲けだ」
男1「へっ、そりゃいい。じゃ、せいぜい頑張ってくれよ、お嬢ちゃん」
下卑た笑みを浮かべる男に、ゆうは毅然とした態度で返す。
ゆう「光秀さんは、簡単に討たれるような人じゃありません。あの人は・・・・・・誰よりも優しくて、強い人です」
(ゆう・・・・・・)
ゆうはしゃんと背を伸ばし、男たちを強い眼差しで見据えていた。その目に怯えの色はなく、薄闇の中で輝きを放っている。
(・・・・・・強いのはお前だ。そうも愛らしい姿を見せられたら、すぐにでもこの腕に抱きしめたくなるだろう)
光秀が刀に手をかけた、その時------
光秀「・・・・・・っ」