光秀「自分の身体のことも、ゆうの心配も、ないがしろにしているつもりはない。昔は昔、今は今だ。そうだろう?」
眉をひそめる久兵衛さんへ、光秀さんがさらりと返した。
久兵衛「・・・・・・はい」
(昔、何かがあったから、光秀さんはこんなふうに自分の身を投げ打つようになったってこと?一体何が・・・・・・)
光秀「お前の気持ちだけ、ありがたく受け取っておこう」
ふたたび光秀さんが筆を手に取った。
光秀「この話は終わりだ。明日の陣形の話をするぞ」
久兵衛「・・・・・・は」
話が途切れ、私は気づかれないようにその場をあとにしながら考える。
(光秀さんの過去・・・・・・)
光秀さんは自分のことを語ろうとしない。だから私も、無理に聞き出そうとはしてこなかった。
(今の光秀さんの考え方や、大切にしている思いは理解している。でも・・・・・・)
光秀さんが無理をする理由が、そこにあるなら知りたいと思う。
(どんな理由があったとしても、光秀さんを心配に思う気持ちは変わらないけど・・・・・・もし理由を理解できたら、もっと支えることができるかもしれない)
もどかしく思いながら歩いていると、
秀吉「ゆう」
「! 秀吉さん・・・・・・」
援軍として合流していた秀吉さんに声をかけられた。
秀吉「随分思いつめた顔をしてたように見えたが・・・・・・何かあったか?」
(いけない、秀吉さんにまで心配かけちゃってる)
必死に笑顔を作って、首を横に振る。
「ううん、なんでもないよ」
秀吉「・・・・・・。そうか、ならいいんだ。そういや、今日怪我した部下が、お前に世話になったって言ってた。ありがとな」
「そっか、お役に立てたならよかったよ」
秀吉「それと・・・・・・」
柔らかかった秀吉さんの声音が、すっと低いものへ変わる。
秀吉「聞いてるかもしれないけど、明日が山場になる。ゆっくり休むんだぞ」
「うん、ありがとう」
秀吉「ん。じゃあ、何かあったら声をかけろよ?」
くしゃっと私の頭を撫でて、秀吉さんは去っていった。その背中を見送り、ほっと息を漏らす。
(秀吉さん、わざと話を逸らしてくれたんだろうな。秀吉さんの言う通り、今日はもう何も考えずに休もう)
そう思うものの、光秀さんと久兵衛さんの会話は、なかなか私の頭の中から離れてはくれなかった。
・・・・・・
翌日------
戦は無事に勝利をおさめ、安土に帰る支度を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。
光秀「ゆう。待たせたな」
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
後処理で忙しかった光秀さんが、馬の手綱を引いて私を迎えに来てくれる。
光秀「帰るぞ。一緒にのるか」
(光秀さん、疲れてるはずなのに・・・・・・嬉しいけど、今日は甘えられない。少しでも休んでもらわないと)
「大丈夫、ひとりで乗れますよ。乗馬は光秀さんに鍛えてもらったので」
光秀「そうか。それは残念だ」
肩をすくめた光秀さんが、すっと私へ顔を近づける。
光秀「お前に触れる口実だったのに」
「っ・・・・・・それは・・・・・・」
鼓膜を揺らす甘い囁きに、胸が疼く。
(・・・・・・私もそうしたいけど・・・・・・)
光秀「・・・・・・ほら」
「わっ」
強制的に抱えられたかと思うと、私を馬に座らせ、光秀さんも後ろにまたがり私のお腹に腕を回す。
「・・・・・・私が一緒に乗ると、疲れちゃいませんか?」
光秀「疲れるわけがない。むしろ休まる」
肩越しに私を覗き込んだ光秀さんと、至近距離で視線がぶつかった。
光秀「帰ったらゆっくり休めるが・・・・・・その前に少し癒してくれないか」
(・・・・・・そんな嬉しいことを言われたら、断れない)
「私でよければ」
光秀「良い子だ」
ぎゅっと私を抱く腕に力がこもって、背中がぬくもりに包まれる。
光秀「・・・・・・癒されるな、お前を腕に抱くと」
思いがけず真剣な声が耳元で響き、その言葉は本音だと伝わってきた。
(支えになれているなら嬉しい。でも・・・・・・)
・・・・・・
久兵衛「昔ほどではありませんが、もう少しご自愛なさいませ。せめてまともな食事を・・・・・・」
光秀「久兵衛。自分の身体のことも、ゆうの心配も、ないがしろにしているつもりはない。昔は昔、今は今だ。そうだろう?」
・・・・・・
(私の知らない、過去の話を聞かせてもらったら・・・・・・もっと光秀さんのことを理解できて、心に寄り添えるかもしれない)
ちらっと振り返って顔を見つめると・・・・・・
細まった目と人の悪い笑みに、頬が熱を持つ。
「っ、違います」
光秀「違うのか。それは残念」
(そうやってすぐからかうんだから)
少し声が上ずるのを感じながら、前へ向き直る。
(でも・・・・・・部下の人達も周りにいるし、今聞いても答えてくれないだろうな・・・・・・御殿でふたりになったら・・・・・・聞いてみたいな)
光秀「・・・・・・」
光秀さんもそれ以上何も言わず、無言のまま時間が過ぎていった。
・・・・・・
数日後の夜、ようやく光秀さんと御殿に帰ってきた。湯浴みを済ませた光秀さんが、着物に袖を通す。
光秀「お前は先に休んでいろ」
「え、光秀さんは・・・・・・」
光秀「悪いな。信長様に報告がある」
あやすように私の頭を撫でた光秀さんを、まっすぐ見つめる。
「わかりました。じゃあ、光秀さんが帰ってくるまで待ってます」
(昔の話のこと・・・・・・少しでも聞きたい)
光秀「・・・・・・わかった。なるべく早く戻る」
額に光秀さんの唇が軽く触れ、ふわりと肩に羽織をかけてくれる。
光秀「夜風で冷えただろう?温かい格好で待っているようにな」
優しいーー♡
「はい。お気をつけて」
光秀さんは柔らかな笑みを私へ向け、部屋を出て行った。
(見送ったばかりなのに・・・・・・もう逢いたくなる)
ひとりになった部屋で、光秀さんの温もりが残る羽織にそっと手を添えた。
・・・・・・
光秀さんが出て行って少し経った頃------
秀吉の声「ゆう、もう休んでるか?」
(え、秀吉さん?)
読んでいた書物を閉じて、急いで襖(ふすま)を開ける。
秀吉「遅くに悪いな」
「ううん、光秀さんの帰りを待ってるところだから大丈夫だよ。あ、光秀さんなら、さっき信長様のところに・・・・・・」
秀吉「いや、別にあいつに会いにきたわけじゃないんだ」
「え」
秀吉さんは迷うような表情を浮かべ・・・・・・
秀吉「お前の事が心配になってな。ちょっと顔見に来ただけだ」
(私のこと?そういえば戦場でも、秀吉さんに心配してもらったな・・・・・・)
秀吉「光秀は後処理がいろいろあるからな。信長様への報告だけで、すぐに帰ってくるかわからないぞ。お前は先に休んでた方がいいんじゃないか」
「心配してくれてありがとう。でも・・・・・・光秀さんと約束したから待ってるよ」
笑いかけた私に、秀吉さんはため息を漏らした。
秀吉「もともと無茶な性格をしていたけど、光秀に似てきたな」
「それ、光秀さんにも言われました」
私も苦笑いして返すと・・・・・・
秀吉「・・・・・・どうしてあいつの帰りを待ってるんだ?」
秀吉さん、、、決まってるじゃん!そんな野暮なこと聞いて。。。
「ええっと・・・・・・」
(昔、光秀さんに何かあったかもしれないなんて、話せないし・・・・・・)
ん?そっち?その理由?それはのちのちで良くないかい?
返事に迷っていると、秀吉さんがまっすぐ私の目を見つめた。
秀吉「光秀の天幕のそばで会った時に、お前が難しい顔してたことと関係あるのか?」
「!」
秀吉「何か聞いたんじゃないか?あいつが、お前を悩ませるようなことをしてるなら、俺は黙ってるつもりはないぞ」
「っ、それは違うよ」
(心配してくれる秀吉さんに、このまま勘違いさせるわけにはいかない)
「・・・・・・実は・・・・・・」
申し訳なく思いながら、久兵衛さんと光秀さんの話をかいつまんで説明する。
秀吉「なるほどな。昔のことをあいつに聞くために、お前は待ってたんだな?」
「うん。光秀さんは過去を語りたがらないし、私も聞こうとしてこなかった。でも・・・・・・そばでこれからも支えたいからこそ、ちゃんと知りたいなって思ったの」
拙いながら気持ちを打ち明けると、秀吉さんは私の頭に手をのせた。
秀吉「お前と恋仲になって、あいつは変わったよ」
「光秀さんが?」
秀吉「ああ。今まで黙っていたことも、話したくなったら自分から打ち明けるはずだ」
「そうなの、かな・・・・・・」
(・・・・・・そうだと、いいな)
秀吉さんの言葉に、力が抜けて気が楽になる。
その時------
光秀「俺のいない間に、ゆうを口説きにくるとはな」