秀吉「ああ。今まで黙っていたことも、話したくなったら自分から打ち明けるはずだ」
「そうなの、かな・・・・・・」
(・・・・・・そうだと、いいな)
秀吉さんの言葉に、力が抜けて気が楽になる。
その時------
光秀「俺のいない間に、ゆうを口説きにくるとはな」
「っ、光秀さん!」
(いつの間に・・・・・・!)
帰ってきたのであろう光秀さんが、部屋の中に入ってくる。
秀吉「いつからいたんだ」
光秀「今しがた帰ってきたところだ」
秀吉「気配を消して帰ってこなくてもいいだろ」
光秀「なにやら話し込んでいたようだったからな」
秀吉「おまな・・・・・・まあいい」
これ以上は言い合いになると判断したのか、秀吉さんは不機嫌そうに光秀さんを見据えた。
秀吉「お前が無理をする性分なのはわかってる。けど、ゆうの気持ちも考えてやれ」
「秀吉さん、違うの。光秀さんは悪くないよ」
(私が勝手に気にしてただけだから・・・・・・)
秀吉「・・・・・・」
じっと私を見下ろした秀吉さんが、長いため息をこぼす。
秀吉「・・・・・・まあ、ふたりの問題か。ちゃんと話を聞けるといいな」
小声でそう言い残すと、秀吉さんは光秀さんの肩を軽く叩いて帰って行った。
光秀「・・・・・・やれやれ、困ったものだな」
「光秀さん・・・・・・」
光秀さんの冷静な視線が私へ注がれる。
光秀「やっぱり起きて待っていたのか」
「はい、約束したので・・・・・・」
光秀「遅くなって悪かった」
「これくらい大丈夫ですよ」
(光秀さんのほうが、よっぽど疲れてるはずだよね。今回の戦は長丁場になっちゃったから)
歩み寄った光秀さんが、私の背中に腕を回し身体を添わせた。
光秀「先ほど、秀吉と何を話したんだ?」
「それは・・・・・・」
(どうしよう・・・・・・昔の話を聞きたいけど、何となく言いづらくなっちゃったな)
光秀「・・・・・・」
口ごもっていると、光秀さんは私の頬に、軽く唇を押し当てた。
光秀「・・・・・・今日は寝るぞ」
「え・・・・・・」
ひょいっと抱き上げられ、大きく視界が揺らぐ。
「あの・・・・・・秀吉さんと何を話してたか、は・・・・・・」
(説明しなくていいのかな)
光秀さんは私を布団に寝かせ、自分も同じように横たわる。
光秀「明日、ゆっくり聞く」
私を抱き寄せた腕に、優しく力がこめられた。
光秀「安土に帰ったら、お前と休むと約束したからな」
(ちゃんと約束、覚えててくれたんだ・・・・・・)
硬い胸板に頬を寄せながら、視線だけ光秀さんへ送る。
「嬉しいです」
光秀「俺がお前との約束を、破ったことはないだろう?」
「ふふ・・・・・・そうでしたっけ」
笑みをこぼすと、あやすように大きな手のひらが私の背中をさすった。
光秀「・・・・・・もう目を閉じろ。戦場でよく頑張ってくれたな」
優しい手のひらと甘く潤った声に、睡魔がじわりと込み上げて・・・・・・
(頑張ったのは・・・・・・光秀さんだよ・・・・・・私ばかり甘やかされて・・・・・・もっと光秀さんの力になりたいな)
そう願いながら、抗えないほどの強い眠りへと引き込まれていった。
・・・・・・
(ん・・・・・・。もう朝?)
障子から差し込む明るい陽射しに目が覚めた。
光秀「おはよう」
(光秀さん・・・・・・)
隣で横になる光秀さんが、私へ微笑みキスを落とす。淡く触れただけなのに、心臓が大きく高鳴った。
「・・・・・・おはようございます。いつから起きてたんですか?」
光秀「少し前だ。お前がそばにいるのに、いつまでも眠っていてはもったいないだろう。たっぷりと、寝坊助の寝顔を拝ませてもらったぞ」
「え、人の寝顔を観察しないでください」
光秀「無理だな。可愛らしいお前のことはずっと眺めていたいほどだ」
幸せそうな眼差しを向けられ、また鼓動が騒ぎだす。
(もう・・・・・・。朝からあんまりドキドキさせないでほしい)
「もう起きます。光秀さんのおかげで目が覚めましたから」
光秀「それは何より。では朝餉(あさげ)にしよう」
「はい」
光秀さんと朝の支度を終えたところに、食事が運ばれてきた。お膳の前に座ると、そこには------
(あれ、これって・・・・・・)
お皿にのせられているのは、見覚えのある『ちまき』だった。
「光秀さん、このちまきはもしかして・・・・・・」
光秀「塩瀬殿が、ここにも贈っていたようだ。戦場で俺が口にしないこともわかった上だろう」
(やっぱり、陣中見舞いに届いたちまきと同じだったんだ。そうだ、今なら聞けるかもしれない)
お箸をお膳に戻し、光秀さんへ姿勢を正した。
「光秀さん、昨日の話なんですけど・・・・・・」
光秀「ん?」
実はこの前、光秀さんが天幕で、久兵衛さんと話していたことを聞いてしまったんです。光秀さんを心配する久兵衛さんに対して、光秀さんは『昔は昔、今は今』だって・・・・・・
光秀「・・・・・・」
「光秀さんが自分を顧みない理由はわかってるつもりなんです。」
(目指す泰平の世を叶えるため。前にもそう聞かせてもらったことがある)
「でも、そんなふうになったきっかけが・・・・・・過去にあるんですか?」
この人は必要あれば、自ら危険な役目さえこなしてしまう。それが光秀さんだということも、もう充分すぎるほど、わかっているつもりだ。
(だからこそ、もっと光秀さんのことを知りたい。もし教えてくれるなら、力になりたい)
光秀「・・・・・・楽しい話は何もないぞ」
短く呟いた声音は優しいのに、私を映す瞳には厳しさが滲んでいる。
「それでも、知りたいです。・・・・・・光秀さんにもっと寄り添える相手になりたいから」
視線を受け止め頷くと、光秀さんは言葉を選ぶようにして口を開いた。
光秀「・・・・・・たくさんのものを失ってきた。そして・・・・・・失くすものがなくなった俺に、己を顧みる理由がなくなった。ただそれだけのことだ」
「っ・・・・・・」
詳しくは語られなくても、光秀さんの想いはしっかり伝わってくる。
光秀「ただ・・・・・・今は少し、考え方が変わった」
「え・・・・・・」
光秀「今の俺には、失いたくないものができた」
切れ長の瞳が、大切そうに私を据えた。
(それって・・・・・・私?)
光秀「周りの者も含め、お前にも、俺が己を顧みない振る舞いをしているように見えるかもしれないが今はお前がいるからな。昔とは違う。昨夜も、必要最低限の仕事だけをこなしてここへ帰ってきた。一刻も早く、お前と休むために」
(光秀さん・・・・・・すごく穏やかな表情だ)
嘘、偽りが得意なこの人でも、これは真実の言葉だと痛いほど伝わってくる。
「本心を話してくれてありがとうございます」
光秀「・・・・・・それより、汁物が冷めてしまう前に朝餉をいただくとしよう」
そっけなく何事もなかったように光秀さんは椀を手に取って口へ運ぶ。
(あ・・・・・・もしかしてちょっと照れてる?でも光秀さんは、このささやかなふたりの時間を守るために、約束を果たしてくれている。そのことをずっと忘れないでいよう)
光秀さんのために、皮をむいたちまきを差し出す。
「どうぞ、今日はちゃんと食べて下さいね」
光秀「助かる」
皮をむいたちまきを光秀さんの口元へ差し出す。けれど光秀さんは私の手首を握り、ちまきではなく私の唇を奪って・・・・・・柔らかな陽ざしを浴びながら何度も口づけを交わす。そんな穏やかで幸福な朝の時間を、私たちはふたりで過ごした。