「どうしよう・・・・・・」
孤独と悲しみがじわじわと込み上げて来て、座り込んでしまいそうになっていると------
光秀の声「そんな暗い声を出して・・・・・・どうかしたのか、ゆう」
(え・・・・・・?)
響いた低い音は、何よりも耳に馴染んだ愛おしい人の声だった。
「っ、光秀さん!?」
光秀の声「ああ、俺だ。ゆう、右手にある格子窓まで行けるか?」
「はい・・・・・・!」
廊下側の窓に造られた格子窓に駆け寄ると、その姿まで確認出来た。
光秀「聞き慣れた声がしたかと思えば・・・・・・やはりお前だったか」
「・・・・・・っ」
(本当に、光秀さんだ・・・・・・)
「あ、の・・・・・の光秀さん。扉が・・・っ・・・私・・・・・・!」
ひとりで感じていた不安や焦燥と、込み上げる安堵とが入り混じって上手く言葉が出てこない。
光秀「大丈夫だ、ゆう。俺が来たんだら、何も心配は要らないだろう」
「はい・・・・・・っ」
優しく宥める光秀さんの声に、じんわりと胸の奥に温かな想いが灯っていく。
光秀「落ち着いて、これまでの経緯や今の状況を教えてくれ」
「わかりました。私が書庫に入った時は------・・・」
書庫に来た時間や、その際には問題なく扉が開いたことも含めて順を追って光秀さんに説明する。
光秀「・・・・・・なるほど。こちら側から見ても、一見して扉に異常はない」
光秀さんがいる外側からも扉が動かなくなっていることや、扉の見た目に変化がないこともわかった。
光秀「梅雨時期の湿気や夏の暑さが原因で、扉に使われている材木が膨張なり歪んだのかもしれないな」
「人が通れるような大きさの窓もありませんし・・・・・・どうしましょう」
自分ひとりでは把握出来なかった情報はえられたものの、進展はない。再び頭を悩ませていると、光秀さんがふと声をかけた。
光秀「そうだな・・・・・・ああ、ゆう」
「はい?」
光秀「宴で出す料理は決まったのか?」
「・・・・・・えっ!?」
光秀「こんなに遅くまでお前が書庫に居たということは------宴に出すにふさわしい、祝いの場向けの料理について調べていたからじゃないか?」
(場所だけでそこまで見抜かれるなんて・・・・・・)
改めて光秀さんの洞察力に驚いていると、私を見る瞳が僅かに緩んだ。
光秀「先に御殿に戻っていた久兵衛が、お前が帰って来ていないと慌てて伝えに来たんだ」
「そうだったんですか・・・・・・?」
光秀「ああ。お前なら俺の誕生日祝いの準備に奔走していると予想出来たから・・・・・・こんな遅くまで居そうな場所となればすぐに絞り込めた」
(流石光秀さん、私の考えそうなことをよくわかってる・・・・・・ )
光秀「しかし・・・しかし人を集めるのは時間がかかる。お行儀良く待つには時が惜しいな」
「どうしてですか・・・・・・?」
時間を惜しむほど急ぎの要件があっただろうかと首を傾げていると、光秀さんが腕を上げる。
光秀「健気で愛らしい俺の連れ合いに、一刻でも早く触れたいからだ」
「ぁ・・・・・・っ」
格子窓の隙間から伸びた光秀さんの指先が、私の頬をそっと撫でる。
光秀「それに、このままでは間に合わなくなるだろう?お行儀は悪いが早い解決策がある。だから・・・・・・少しの間下がっていろ、ゆう」
「間に合わなくなるって、どういう・・・・・・っ、え?」
------ドンッ!
外側からの強い衝撃を受けて、書庫の扉が軋んだ音を立てる。
「光秀さん・・・・・・!?」
格子窓に限界まで身を寄せて確認すると、光秀さんが思い切り扉に体当たりをしていた。
光秀「・・・・・・っ」
------ドンッ!
「っ、光秀さんが怪我しちゃいますよ・・・・・・!」
光秀「構わん。それより早く、お前と帰る必要がある」
------ドンッ!
------ゴッ
戸惑う私を他所に、光秀さんに数回体当たりされた扉が、鈍い音を立てた。
「今の音って・・・・・・?」
鈍い音に気づいたのか、光秀さんも体当たりを止めて扉に手をかける。すると、びくともしなかった扉が軋んだ音を立ててゆっくりと開いた。
「あ・・・・・・」
光秀「ああ、歪んでズレていた部分が衝撃で戻ったんだな」
「光秀さん・・・・・・!」
格子越しではない光秀さんの姿に、込み上げる想いのまま足を踏み出していた。
光秀「おっと、熱烈だな」
抱き着いた私をしっかりと受け止めて、光秀さんが優しく微笑む。
(よかった・・・・・・!)
「助かりました。ありがとうございます、光秀さん」
光秀「大切な者を助けるのに、礼など必要ないだろう?」
「それでも伝えたいんです。本当に・・・・・・安心しました」
光秀「帰るか、ゆう」
「はい・・・・・・!」
強く抱き締め合ってから、私達は御殿への帰路についた。御殿の部屋へと戻り、光秀さんの身体を確認した私はほっと息を吐く。
「光秀さんに怪我がなくて良かったです・・・・・・」
光秀「あの程度で心配し過ぎだ」
優しく頭を撫でて微笑む光秀さんの手に、ついつい顔が緩んでしまう。
(月が高くまで昇ってるから、もう日付は変わってるのかも・・・・・・)
光秀さんが来なければ、もっと遅くまで閉じ込められていた可能性に背筋が冷える。
「そういえば・そういえば書庫で言ってた間に合わなくなるって、どういう意味だったんですか?」
光秀「ああ、そのことか。お前が俺の朝餉(あさげ)を作ることと、他の誰よりも早く祝いの言葉を言うことが・・・・・・だ」
「え・・・・・・えっ!?」
(もしかして、それって・・・・・・最初からドッキリのことも気づかれてたってこと・・・・・・!?)
驚愕する私の表情を見て、光秀さんは意地の悪い笑みを浮かべた。
光秀「どうやら俺の読みは当たったようだな」
「カマをかけただけ、とかでは・・・・・・」
光秀「いや?確信を持っていたことだ」
「い、いつから気づいてたんですか!?」
思わず光秀さんに詰め寄る勢いで問いかけると、軽く顎に手を当てた光秀さんが口を開く。
光秀「・・・・・・お前が朝から女中達の手伝いをし始めた時期だ」
「え・・・・・・?」
光秀「そのころから、朝餉を食べる時はお前は必ず俺の口元と顔を観察するようになったからな」
私を宥めるように、光秀さんの大きな手のひらが背中を撫でる。
(今日は気づかれたけど、それまではバレない程度に見てるつもりだったのに。まさか、そんなに早い段階から気づかれてたとは思わなかった・・・・・・ )
光秀「恐らく、朝餉を作っているのがお前なんだと思ったが・・・・・・あえて真実を暴こうとは思わなかった」
「え・・・・・・?」
顔を上げた私と視線を合わせて、光秀さんは穏やかに表情を緩ませる。
光秀「ただ、その日から・・・・・・朝餉のひとときが、今までとは違う特別なものになったんだ」
「光秀さん・・・・・・」
光秀「だからこそ、食べ逃すのはなかなかに惜しい」
「・・・・・・っ」
(食事に興味のない光秀さんが・・・・・・それでも私の手料理を、特別だと思ってくれてた。ドッキリは失敗だけど、食事を楽しみにして欲しいって願いは叶ってたんだな )
願いがかなった嬉しさと同時に、光秀さんの愛情深さも感じて愛おしい想いが募っていく。優しく片腕に抱きしめられながら、互いの背中や髪に触れる。
光秀「それに、誕生日を祝う言葉を受け取るのなら・・・・・・俺も、最初は他の誰でもなくお前からの言葉が欲しかった」
「え?」
甘やかな触れ合いの中で落ちた光秀さんの囁きに、顔を上げる。熱を含んだ美しい瞳が私を映していて、思わず息を飲んだ。
光秀「・・・・・・もう、日を跨いだころだろう。お前から、誰よりも最初に言葉をくれないか?」
「っ・・・・・・誕生日、おめでとうございます。光秀さん」
光秀「ありがとう、ゆう。------愛している」
「私もです・・・・・・愛しています、光秀さん。んん------、ぅ」
深く口づけを交わして、互いの額をそっと触れさせる。触れ合う温もりのことを幸せと呼ぶのだと思えるほど、穏やかな感情が胸を満たしていった。
「ふふっ、朝目が覚めてからも、今日は何回だって『おめでとう』って言いますね」
光秀「ほう?それはそれは・・・それは期待しているぞ」
愛おしさに笑い合い、明日への期待をふたりで共有する。幸福の中で眠りにつき、そして目覚めるかけがえのない朝を、私達は重ねていく------