「そうか。明日は休暇をもらったのか」
「はい」
朝晩の冷え込みも少し和らいだある夜、光秀さんの羽織を脱がせながら、私は頷いた。
(光秀さんも近頃忙しそうだけど、明日はまたお仕事かな・・・・・・)
羽織を脱ぎ、振り向いた光秀さんは、長いまつ毛を伏せて微笑む。
光秀「それは良かった。俺の出番はなさそうだ」
「出番、ですか?」
光秀「お前にこれ以上依頼が来ないように、根回しをしようかと考えていたところだ。近頃、お前の小さい頭では覚えきれないくらいの依頼を受けていたようだからな」
(またそんな風に言って・・・・・・)
意地悪な言葉とは裏腹な、頭を撫でる手付きの優しさに、笑みが溢れる。
「そんなにご心配おかけしてましたか」
光秀「おや、今の小言を心配と捉えたか」
「ええ、違いました?」
光秀「さてな」
光秀さんははぐらかすように笑うと、髪を優しくすいて私の頭を引き寄せる。
光秀「明日は、ゆっくり羽を伸ばすといい」
「ん・・・・・・」
唇が軽く触れ合って、背筋が甘く震える。
(『羽を伸ばすといい』ってことは、やっぱり光秀さんはお仕事か)
ほんの少しの寂しさを埋めるように、光秀さんの首筋へ頬を擦り寄せる。
(寂しいけど・・・・・・、寂しいから、なおさらこうして触れ合っていられるのが、すごく、幸せ)
薄く浮いた鎖骨の上へ、そっと唇を寄せると、
光秀「どうした、やけに積極的だな」
笑い混じりの低い声が、耳元へ注がれる。
「明日、お休みなので」
(はしたない、かな)
恥じらいに熱くなる身体の輪郭を、光秀さんの手がゆるりとなぞった。
光秀「良い誘い文句を覚えたな。勉強熱心な愛弟子には、褒美をやろう」
「・・・・・・っ、あ・・・・」
肌をなぞる手のひらの感触を、待ち焦がれたように身体が震える。恋しさを言い訳にして、私は両腕を光秀さんに強く絡めた。
・・・・・・・・・・
(ん・・・・・・もう、朝?)
薄っすらと目を開けると、朝の白い光が部屋に差し込んでいる。
(つ、光秀さんは・・・・・・?)
隣を見ると、光秀さんはすっかり身支度を整えて本を読んでいた。
光秀「ようやく起きたか、寝坊助」
(よかった・・・・・まだ仕事に行ってなかった)
「・・・・・・光秀さん・・・・・・・おはようございます」
光秀「おはよう。せっかくの休みを眠り姫になって過ごすのかと、気を揉んだぞ」
(頃合いを見て起こそうかと、待っててくれたにかな・・・・・・)
光秀さんは私の隣へ寄ると、乱れた髪を指ですいて整え始めた。
「あの、身支度なら自分で出来ますから」
光秀「つれないことを言う。俺が乱した髪だ、俺が整えてやるのがす筋だろう?」
(俺が乱した、って・・・・・・)
昨夜のことが脳裏をよぎりそうになるのを、なんとか振り払う。
「っでも、お仕事に遅れるんじゃないですか?」
光秀「仕事があると言ったか?」
「え?」
光秀「俺も、今日は休暇だ」
(・・・・・・・・・・・・)
「ええっ!?」
光秀「おっと」
驚いて振り向くと、光秀さんは髪をすいていた両手を上げて『降参』のポーズをした。
「今日、お休みなんですか?」
光秀「お前が休みをもらったと聞いてな。俺も合わせて休むことにした」
黄金色の瞳が愉快そうに細められているのを、私はがく然と見つめた。
「それなら秘密にせずに、昨日言ってくれればいいのに・・・・・・っ」
光秀「寂しがっているお前は普段より大胆になるから、言わずにおいた」
(な・・・・・・っ!?)
昨夜の振る舞いが見透かされていたと知って、ますます絶句する。
光秀「可愛いな、お前は」
恥ずかしさと悔しさでぐちゃぐちゃになった私を眺めて、光秀さんは愛しそうにつぶやく。
(ああ・・・・・・もう。本当に本当に、恥ずかしい、のに・・・・・・秘密の多いあなたの手の上で、こうして転がされるのが、やっぱり好き)
せめてもの抵抗に、羞恥に染まった顔をそれ以上堪能されないよう、胸板に押し付けた。
・・・・・・
「・・・・・・まだ、何か隠しているんじゃないですか?」
城下町を歩きながら、私は隣の光秀さんをちらっと横目に見た。
光秀「おや、今日は随分と勘がいいな」
「え?」
光秀さんは肩をすくめると、袂(たもと)を探って何かを取り出した。
「なんですか、それ・・・・・・あ!」
光秀さんの手の上で、翡翠の玉飾りのついた簪(かんざし)が日の光にきらりと光る。
「それ、この前露店で見かけた・・・・・・?」
(この前の逢瀬で、『綺麗だな』って思ったけど・・・・・・まさか買ってたなんて)
光秀「思ったとうり、よく似合う」
長い指が耳元へ簪をそっと刺すと、しゃら、と飾りの揺れる音がした。
「もう・・・・・・秘密の玉手箱なんですか、光秀さん」
思わず笑ってしまうと、薄い唇はますます弧を描く。
光秀「愛しいお前を喜ばせるための秘密なら、いくら持っておいても損はない」
「喜ばせるためじゃない秘密もあるんですか?」
光秀「それは秘密だ」
(相変わらずだなあ・・・・・・そんなところが、好きなんだけど)
光秀「・・・・・・ああ、そういえば」
私の反応を堪能するように眺めていた光秀さんは、ふと思い出したように声を上げた。
「なんですか?」
光秀「秘密ではないが、ひとつ連絡を忘れてい
たな」
「連絡、ですか?」
(なんだろう・・・・・・?)
光秀「数日後、信長様ととある大名の重要な会談が、安土近郊の寺院で催される。敵意のないことを示すため、お前も同席をとの命だ」
(会談への同席か・・・・・・光秀さんが承諾したってことは、危険はないんだろうな)
「わかりました。光秀さんも?」
光秀「お守り役は必要だろう?」
「ふふ、よろしくお願いします」
そんな調子で、愛しい時間は過ぎてゆき・・・・・・
(あっという間に夕方だ)
逢瀬を終えた私達は、茜色に染まる帰路を歩いていた。
(光秀さんのおかげで、今日は贅沢な休日を過ごせたな・・・・・・)
幸せな余韻に浸っていると、光秀さんがふと足を止めた。
「どうかしましたか・・・・・・?」
光秀「・・・・・・あれは」
(なんだろう・・・・・・?)
光秀さんの視線を追うと、見慣れた人の姿が見えた。
久兵衛「光秀様、少しお話が」
光秀「・・・・・・ゆう」
「はい、ここで待ってます」
光秀「すまないな」
額に軽く口づけをして私から離れると、光秀さんは久兵衛さんと路地へ入っていった。
(何かあったのかな・・・・・・)
気にかけながら、次第に藍色へと変化する空を見上げていた時・・・・・・
「わっ」
???「きゃっ」
軽い衝撃を受けて視線を下げると、目の前に涙を浮かべた少女の顔があった。
少女「す、す、すいません・・・・・・っ!」
「いいえ、全然!・・・・・・大丈夫?」
(この子、今安土城の方から駆けてきたようだったけど・・・・・・)
少女「わ、私・・・・・・っいえ、ごめんなさい、何でもないです!」
「・・・・・話を聞いた方が落ち着くようだったら、聞くよ?」
少女「う、ううっ!」
せきを切ったように泣き出した少女を、なんとかなだめて話を聞くと、彼女は今日から安土城へ上がった女中見習いらしかった。
少女「でもっ、全然仕事をもらえなくって・・・・・・!きっと明日には暇(いとま)を出されるんですっ」
「そんなことはないと思うけど・・・・・・」
(仕事がもらえなくて辛い、なんて・・・・・・ここへ来たばかりの頃の私と、ちょっと似てるかも)
「私も安土城でお世話になってるの。だから、何かあったら力になるよ』
自然とそんな言葉が出た。
少女「安土城でお世話に・・・・・・もしかして、ゆう様ですか!? わ、私、大変な失礼を!」
「大丈夫だよ、えーと・・・・・・」
くずり「くずり、と申します」
「くずりちゃん」
(あ、そうだ)
「これ、食べる?」
くずり「え・・・・・・?」
「さっき買ったお饅頭(まんじゅう)」
(本当は、光秀さんに内緒で買って、あとで驚かせようと思ってたけど・・・・・・落ち込んでるこの子には、甘いものが必要だよね)
そうなの?はじめてきいたな(笑)
くずりちゃんんは目をまんまるにしたあと、
くずり「・・・・・・変なお姫様」
お饅頭を受け取って、初めて笑顔を見せた。
くずり「・・・・・・!ありがとうございました、ではまたっ」
「あ・・・・・・」
彼女がさっと身を翻して去ると、すぐに光秀さんが戻ってくる。
光秀「・・・・・・誰かと話していたのか?」
「今日安土城へ入りたての女中の子と、少し」
光秀「なるほど。俺の分の饅頭はその子に取られたということか」
「えっ!?」
(内緒で買ったのに、バレてたの・・・・・・?)
光秀「隠し事の腕は、まだまだのようだな?」
「・・・・・・そのようです」
苦笑いを浮かべると、光秀さんはそっと私の肩を抱いた。
「お饅頭、ひとつになっちゃいましたけど、帰ったら帰ったら半分こしましょう」
光秀「不思議だな。ひとつもらうより得に感じる」
なんかこれ、名言♡
「ふふ」
(さっきの子も、食べて元気になってくれてるといいけど・・・・・・)
寄り添うように帰り道を歩きながら、私はそんなことをのん気に考えていた。
光秀「・・・・・・」
・・・・・・・・・・
−−−−−−逢瀬の日から、数日後。
「お帰りなさい」
仕事帰りの光秀さんを、いつものようにお部屋で出迎える。
光秀「ただいま。明日の支度は順調か?」
「はい、ばっちりです」
信長様と大名の会談は、いよいよ明日に迫っていた。
光秀「・・・・・・そういえば、あの女中はどうしてる」
「女中・・・・・・あ、くずりちゃんのことですか?」
先日ぶつかった少女とは、ここ数日で、すっかり仲良くなっていた。
「ふふ、今日は衣類の整理を任されて、重たい着物に四苦八苦していたみたいです」
光秀「ほう、順調に仕事が増えていっているようだな」
「はい。毎日夕方会いに来てくれるので、近頃それが楽しみです」
元気いっぱいなくずりちゃんのことを思い出して、微笑んでいると、
光秀「その女中が、好きか」
光秀さんが、ぽつりと尋ねた。
「? ええ、好きですけど」
(どうして急に、そんなこと聞くんだろう・・・・・・?)
光秀さんは、穏やかな笑顔を浮かべたまま、そっと私を抱き寄せた。
光秀「男は近づかないよう警戒していたが、おんなにゆうの心を奪われるとは」
(えっ!?)
光秀「俺もまだまだ未熟なようだ」
嘆くような素振りで、大げさにため息をつく光秀さんに、思わず笑ってしまう。
「『心奪われる』なんて、大げさですよ」
光秀「大げさなものか。ほんの僅かでも、俺以外と会うことを楽しみにしている部分がお前の心にあると思うと、耐え難い」
光秀さんは甘く囁くと、私のこめかみへそっと口づけた。
「ん・・・・・・」
その感触が唇にも欲しくて光秀さんを見上げるけれど・・・・・・
光秀「・・・・・・」
(・・・・・・あれ?)