光秀「・・・・・・」

(・・・・・・あれ?)

その時、見下ろす光秀さんの笑顔の、何かが心に引っかかった。口づけをねだるより先に、問いが口をついて出る。

「また、何か隠してますか?」

(・・・・・・何を聞いてるんだろう。私に隠していることなんて、星の数ほどある人に)
そう思うのに、問わずにはいられなかった。

(何か今、光秀さんが苦しんでるような気がして・・・・・・)

けれど、光秀さんは微笑んだまま、ゆるりと首を横に振った。

光秀「・・・・・・いいや?」

光秀さんは、それきり何も語らずに私の唇を塞いだ。

・・・・・・・・・・

------そして迎えた、会談当日。

くずり「ゆう様!」

寺院へ向かう駕籠(かご)へ乗ろうとしていたところへ、くずりちゃんが駆け寄ってきた。

「どうしたの、そんなに息切らして・・・・・・?」

くずり「の、信長様の、好物と聞いて・・・・・・っ!」

くずりちゃんは、ずいっと小さな巾着を差し出した。

「これ・・・・・・金平糖?」

くずり「先日、初めてお賃金をもらえたので、買ってきたんです。いつかきっと信長様に認められて、ゆう様つきの女中になってみせるって、意思表示ですっ」

「そんなこと思ってくれてたの・・・・・・?」

驚いたやら嬉しいやらで巾着を受け取ろうとすると、

くずり「・・・・・っ!」

くずりちゃんはなぜか、苦しげに顔を歪めた。

「・・・・・? どうかし------」

光秀「その巾着」

巾着に触れる直前、横から伸びてきた手が、やんわりと私の手を止めた。

光秀「俺が預かっておこう」

「光秀さん・・・・・・?」

戸惑う私を尻目に、光秀さんは巾着を受け取ると、柔らかく目を細める。

光秀「ゆうは会談の場まで、信長様と別の駕籠で行く。信長様の近くに侍(はべ)り移動する俺が渡したほうが早いだろう」

「なるほど。確かにそうですね」

くずり「・・・・・・」

くずりちゃんは一瞬、ためらうように黙り込むと、すぐに顔を上げた。

くずり「そうですね、光秀様にお願いいたします。信長様のために用意したものなので・・・・・・決して袋は開けないでくださいね」

光秀「約束はできないが、お前の思いは気に留めて置こう」

くずり「・・・・・・では、ゆう様、失礼します」

「あ、うん。またね」

(なんだろう・・・・・・別に、おかしなところはないはずだけど、今のくずりちゃんと光秀さんのやりとりには、違和感があった)
光秀さんの所作は、普段とほとんど変わりなかった。けれど、ほんのわずか違った。

(言葉にできないけど・・・・・・そう感じた
昨日の夜の違和感といい、何かおかしい)

「・・・・・・」

光秀「さて、と」

光秀さんは私の沈黙を気にする素振りもなく、巾着を袂(たもと)へ仕舞った。

光秀「恋敵への牽制(けんせい)も済んだことだ。俺は信長様の元は行く。駕籠に乗っている間、お守りは不要だな?」

ぽん、と頭を撫でる手はいつもどうり優しかった。
(・・・・・・察しのいい光秀さんが、私が違和感を覚えたことに気づかないわけない。つまり、この態度は・・・・・・はぐらかしてる)
私は、じっと光秀さんを見上げた。

(くずりちゃんが関係する、この場では話せない何かを)

光秀「・・・・・・ゆう?」

「・・・・・・はい、大丈夫です」

(光秀さんが何かを隠すのには、必ず理由がある)

光秀さんに倣って、私は何事もなかったように微笑んでみせた。

「駕籠に乗っている間も、会談の席も、任せてください」

光秀「・・・・・・頼もしい限りだ」

しっかりと応えた私を見て、光秀さんは眩しげに目元を細めた。

・・・・・・

駕籠へ乗り込んだゆうと別れた光秀は、すぐに久兵衛を呼んだ。

久兵衛「・・・・・・では、やはり」

光秀「・・・・・・ああ」

袂から取り出した巾着を開き、光秀は眉を寄せた。

光秀「ゆうは悲しむだろうが・・・・・やむを得ん」

・・・・・・

数刻後、私は会談んが開かれている寺院の広間へと足を踏み入れていた。

信長「到着は俺たちが先のようだな」

「はい・・・・・・」

(光秀さんがいない・・・・・・)
信長様や織田の家臣たちの中に見慣れた色素の薄い髪を見つけようと見渡す。

「信長様、光秀さんは」

信長「知らん」

興味もなさそうに言い捨てた信長様は、相変わらず尊大な態度で上座へ腰をおろした。

信長「あやつが不意に姿を消すのは、いつものことだ」

(・・・・・・逐一知ろうともなさらないのは光秀さんへの信頼があるから、か)
信長様は、光秀さんを咎めない。それは光秀さんの行動が、全て彼の義に則るものだと、知っているから。

(私も、そう)

信長「貴様は貴様の役割を全うしろ」

「もちろん、そのつもりです」

私は背筋を伸ばして、信長様の脇へ腰を据えた。

「・・・・・・ふん、生意気な女だ」

・・・・・・・

会談が始まった頃、寺院にほど近い山道に、黒い人影がうごめいていた。

男1「始まったか」

男2「例の巾着はちゃんと届けたんだろうな、くずり」

くずり「・・・・・・はい」

くずりと呼ばれた少女は、緊張した面持ちでうつむいている。その時、凛とした声が不穏な空気を引き裂いた。

・・・「おや、安土の女中がこんなところに」

くずり「・・・・・・つ」

光秀「お遣い・・・・・・にしては、少々長旅過ぎるんじゃないか」

突然現れた光秀の姿に、男たちが一気に殺気立つ。

男1「明智光秀・・・・・・!」

男2「くずり、てめい抜かったな!」

くずり「・・・・・・」

次々と抜刀する男たちを前に、光秀さんは軽く片眉を上げた。

光秀「はて、『抜かった』とは何のことやら。俺を騙(だま)せるとおごったことか、俺に巾着を奪われたことか、俺の尾行を撒かずに、ここまで案内したことか・・・・・・それとも、ゆうの優しさにほだされて、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれたことか?」

くずり「・・・・・・っ!」

くずりは光秀の眼差しと言葉に、激しく動揺して後ずさった。

光秀「・・・・・・」

光秀が刀の柄に手をかけると、茂みから部下たちが現れ男たちを取り囲む。

男たち「くっ・・・! 囲まれていたのか・・・・・・!」

光秀「赤子でもわかることだ。狐を化かすのに、子狸(こだぬき)では力不足だと。諸兄(しょけい)らには、次はもう少し物のわかる主君に仕えることをお勧めする」

ゆっくりと刀を抜き放ち、光秀は妖しく笑った。

光秀「この場を生き延びられたら、の話だが」

・・・・・・

夕暮れの迫る頃、無事に会談を終え、私は駕籠に揺られていた。
(何事もなく、穏やかに会談を終えられてよかったな・・・・・・)

ほっと胸を撫で下ろしながらも、頭は光秀さんのことでいっぱいだ。
(光秀さん、結局最後まで、姿を表さなかった)


・・・・・・

「また、何か隠してますか?」

光秀「・・・・・・いいや?」

・・・・・・

(光秀さんは、何を隠していたんだろう?)
記憶の糸を手繰り寄せて、考える。


・・・・・・

光秀「恋敵への牽制(けんせい)も済んだことだ。俺は信長様の元へ行く。駕籠に乗っている間、お守りは不要だな?」

・・・・・・


(光秀さんは『駕籠に乗っている間』と言っていたから、会談の場には戻るつもりだった。けれど、来なかった。どうして?)


・・・・・・

くずり「信長様のために用意したものなので・・・・・・決して袋は開けないでくださいね」

光秀「約束はできないが、お前の思いは気に留めて置こう」


・・・・・・

(あの時受け取った巾着の中に、何か会談の場に戻れなくなるようなものが入っていたから?)
くずりちゃんが手渡してきた巾着は、信長様宛だった。

(・・・・・・もしかして、)
ざわり、と胸が騒ぐ。

(もしかして、くずりちゃんは、信長様を狙う間者だった・・・・・?だとしたら、会談の間、光秀さんはそれを阻止しようと動いていたのかもしれない)

・・・・・・


光秀「その女中が、好きか」

「?ええ、好きですけど」


・・・・・・

(光秀さん・・・・・・)
その時、駕籠が地面に置かれる感覚がして、すだれが上がった。

担ぎ手にお礼を言って駕籠を下りると、信長様が馬上から声をかけてくれる。

信長「大義であった。光秀の御殿へ戻れ」

「はい、ありがとうございました」

信長「・・・・・・織田の姫としての振る舞い、見事であった。さすが、光秀に
仕込まれただけはある」

信長様は不敵に笑うと、馬首をめぐらせて城へ去っていった。その場で立ち止まって少し考えたあと、私は顔をあげた。
(光秀さんの秘密がどんなものであれ・・・・・私がするべきことは・・・・・・)