みなさま、お忙しくしていますか。

以前にも書きましたが、「ザ・タイガース」
のお話です。

GSバンドだったザ・タイガースで、ドラム
担当のピー先生のお話を聞きに行ってきました。

ピー先生は、「瞳みのる」のお名前で知られて
いますが、おそらく、本名であろう「人見豊」氏
としての講演会でした。

自己紹介のときは、瞳みのるですって、
言っていましたけど。


今回は、グループサウンズのお話ではなく、
中国語教師としてのお話です。

恭賀新春

知っている人も多いですが、ピー先生は、
タイガース解散後、慶應義塾高校の
先生をやっていました。今は、第二期
タイガースのメンバーとしても活躍
していますね。


あの人気絶頂のGS時代から考えると、中国語教師、
漢文教師になるとは、誰も考えていなかったと
思います。

人間、将来どうなるかなんて、わからない
ものなのです。

(同じく、岸部一徳さんも、あのベースギタリスト
としての実力から、性格俳優になるとは、GS時代に
想像できた人は、いなかったと思います)。


これらの書籍を書いたのが、ピー先生です。

一時期は、3分の2の生徒が中国語履修
したそうです。



中国語のテキストは、他にもあると聞いたの
ですが、今は、絶版なのかな。


こちらの本↓が、今回のお話の中心となる
北京四中の学生が来日した時のことを
書いてあります。



ピー先生については、こちら。

ロング・グッバイのあとで ―ザ・タイガースでピーと呼ばれた男―/集英社

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ピーとか、サリーとか、ジュリーとか
トッポとか愛称があったのです(私と友達は、
トッポいトッポとか言っていました。本当は、
トッポジージョから来た愛称ですが)。

私がタイガースを知ったのは、「色つきの
女でいてくれよ」の時代ですけどね。



で、今回は、ピー先生、主に中国語の教師として
のお話でして、具体的にいうと、「北京四中」の
生徒が来日した時の話でした。

いや、来日した時の話よりも多かったのは、
その前の、来日するまでのいきさつのことが
多かったです。

それもそうです。

300人の高校生が来たのですから。
中国からですよ。

準備が大変だったのもわかります。

それも、中国語を学んでいる人なら
わかりますが、北京四中は、エリートも
エリートの高校なのです。
(中学というのは、high schoolみたいな
もので、日本の中学生と高校生の年代
の生徒が行く学校です)。

私も、外から見ただけですが、北京四中には
行ったことがありますよ。

この中学、中国にしては、珍しく、プールが
ある学校なのです。


ここの生徒が、ピー先生の勤務する学校に
やってきて、いろいろと担当したわけです。

その時の話をしていただきました。

そこに至るまでが、これまた大変だったという
ことです。詳しくは、上記の『中国のエリート
高校生 日本滞在記』を読むとわかります。

北京四中の校長先生が、器が大きいというか、
気概があるという先生で、困難が多かったのですが、
やるからには、やる、と決断したそうです。


ピー先生が、他の人から聞いた話だが、
「中国人は、個人としては、付き合うと人物
として大きい人、立派な人が多いのだが、
組織になってしまうと、とたんに小さいもの
になる。日本人はその反対で、個人としては
大人物が少ないけれど、組織となると強い」
ということをおっしゃっていました。

ピー先生もそうですが、おそらく、同じような
感想を持つ人が多いかと思います。

確かに、政治家を見ても、今の日本には大人物
と言える人が少ないようです。昔は、もっと
大物がいたように感じますが。それから比べると
日本の役所、省庁の役人は、組織としては
優秀です。

話が長くなってしまいましたが、ピー先生は、
長年、教師をやっていたからでしょうか、
タイガースのドラマーというよりは、学校の
先生としての風格がありました。


ピー先生としては、これからも日中友好に貢献
していきたいとのことでした。ただ、政治とか、
宗教とか、スポーツとかからは、離れた形で、
付き合っていきたいそうです。

文化、京劇の役者さんとも付き合いがあるそう
ですし、きっと、そちらの方面で、日中友好
を続けていくものと思っています。


来年、2015年には、このような舞台が
あるそうですよ。

ご興味がある方は、ぜひ行ってみてください。

仲万呂と楊貴妃~邯鄲の夢枕~ /HITOMI MINORU official site

東京では、俳優座劇場で行うそうです。