石油ショック | ぐうたらエステティシャンのタブーなこととか

・1953年、自国の資源を英米から取り戻そうとしていたイランのモサッデクを「暴虐な独裁者」に描く。

・1973年、ヨムキプル戦争(第四次中東戦争)の勃発(キッシンジャーが画策)→第一次石油ショック。
・1979年、英米依存から脱却しようとしたイランのシャーを「暴虐な独裁者」に仕立てあげて追放=ホメイニ革命→第二次石油ショック。
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※日本では食用、衣類など様々な用途で大麻が活用されていたが、米国占領下の政策で大麻が禁止され、石油製品が普及することとなった背景がある。
・ガソリンスタンドに長蛇の列でパニック。
・石油製品の供給不足、価格上昇(インフレ)の不安。
・省エネ運動。
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・CIAのアジャックス作戦でモサッデクを追放し、シャーを設置して、イランの石油に対する英米の支配を維持(1953年)。
1970年代、石油値上げで増収となった産油国のオイルダラーを英米の銀行が預り、石油値上げで貿易収支の悪化した第三世界に変動金利で融資(後の第三世界の債務危機、IMF介入を招く)。
・インフレを「絞り出す」高金利政策(英サッチャーと米ボルカー・レーガン)→失業激増。
・大局的には、諸国の経済成長を抑圧することで世界の基軸通貨としての米ドルの地位を維持し、IMFによる第三世界の支配が可能になった。