台風が来たりして

外に出られないわ、ってときに

家にいるわけで

そういうときには

やはり、芸術活動がはかどる。

 

これはなかなかいい活動で

今までの空いていた時間など

これをやっていると

ぴったりなんだ。

 

思いつくままに

色々と応募してみたりして

まったく、何の一貫性もなく

兎に角、目についたところに

じゃんじゃん送る、みたいな方針で

 

方針っていうか

いつの間にか、気になることをやっていたらそうなっていた。

 

 

 

色々出してる。

 

応募の情報みると、出したくなって

出してる。

 

ちょっと飽きてきたかな、というときにも

また、応募のサイトとかみて

 

次は何に出そうかな~って。

 

半年くらい前に描いたものが

今になって、声がかかったりして

様子を見ていれば

何か、くるかなって感じ

 

売れてしまいました~~

みたいなのは

後から声がかかっても

もう、売れてしまったのよ~~

 

になっちゃう。

 

とはいえ

また、描けばいいのだ

私が描けるんだから

またかけばいいんだ。

 

似たようなやつが結構ある

結構いくつか、同じようなやつを描いてる

 

いつも不思議なのが

自分がいいと思う物とは違うものを、これがいい、という人がいること。

 

趣味が違うというか

これはダメだ、と思ったような作品でも

他人が見つけて、これがいい、ということがあって。。。。

 

なので、全部捨てられない。

 

最近はみなさん、エネルギーという言い方をするので

結構この言葉も、メジャーになってきたと思うけど

 

 

 

私の絵には、私のエネルギーが入っている

そりゃあ、入っているよね

 

これに向かって

絵の具を塗ったり

自分の思いなどが入っているわけで

 

こうして

文章を書いていたって

エネルギーが入って

エネルギーに満ち溢れた文章になるんだから

 

 

絵にも、エネルギーが入っている、と言っても

そりゃそうだ

と思う

 

この私の絵、というものを

 

癒しになる~

って言ってくれた人もいるし

 

中には

ちょっと変わった絵もあるわけだから

 

こういうのを

 

魔除け、のように

 

言葉を変えるならば

 

シーサーのような

魔除けというか、守り神みたいな

 

といいつつ

シーサーは、結構描いたよ。

シーサーシリーズ、みたいな感じ。

 

私のシーサーは

カラフルだったり、カワイイ顔してたり

ポーズがカワイイのもあるし

 

それに。。。。

龍を描いたんだけど

私の描いた龍のことを

みんなが

シーサーと呼ぶんだよね。

 

いえいえそれは。。。。

龍なんですけど

 

と言ってるんだけど

 

こっちの方の人は

 

あれは、顔をみると、口から、シーサーという言葉が出ちゃうみたいだ。

 

わたしもこうして、

沖縄の人になりつつあるのかもね。

 

描いたものが

自然にシーサーになってしまうなんて。

 

色もカラフルなところが

沖縄のような、南国の、太陽の光をあびて

イキイキとした

沖縄カラーになっているのだ

 

 

 

沖縄にきた観光客なんかでも

 

わたしの絵をみて

沖縄っぽい、と思うだろうか。

思うんじゃないかな。

 

沖縄で描いているので

こんな風になりました、ってやつだ。

 

この間思ったのが

どこかに行ったら

そっちの方で描いたらいいんじゃないか、ってこと。

 

旅先で描くとか

どこかの土地で

描いたらいいんじゃないかと思う

 

絵を運ぶのは結構大変なので

絵を運ぶよりも

自分を運ぶ方が

ずっと楽だなあと

 

 

以前は、パソコンで絵を描いて

 

これなら、どこでも描けるとか

場所を取らないとか

色々と利点をあげて

 

私はこれでいくのだ

と思っていたのだが

 

いつの間にか

一番、面倒な形に、なりつつあって

 

絵は大きいし

場所をとるし

 

扱いにも、手がかかるじゃん。。。。

材料も

 

パソコンの絵なら

パソコンだけで済んだのに

 

 

こういう、現物がある絵だと

 

材料だのなんだのが、いっぱいで

本当に大変なことになりつつある。

 

あ~

わたしは、本当にこういうアーテイストだったのね

 

ちょっと版画でもやってみようかと

 

ほりほりしてみたら

意外と、なかなかいい感じの仕上がりで

 

版画もいいかもしれない

 

版画なんてどこがいいんだろうと

少し前まで思っていたけど

 

やってみたらさぁ

味があるというか

 

なんか、いいものがあるんだなあ。

 

なるほどね、って感じ。

 

 

誰にでも出来そうなんだけど

そうでもないのかな、分からないな

 

自分のは、自分の味があるのかな

 

こういうことは

分かるような分からないような

アートって、分からんね

 

 

最近おもうのは

どんな時代になっても

 

どんな時代でも

昔からみて分かるように

 

食べてるわけでなくても

アートって、やっぱり昔からあるよね、って思う。

 

 

食べ物とか

絶対必要と思うけど

 

アートも

昔からあるんだよね

なくならない。

 

AIが描いた絵、とか

話題になってる

 

ロボットがそのうち

筆をもって

描きだすかな

 

ありうるね。

そのときには

わたしも、ロボットをひとつ手に入れて

そのロボットに私の絵を、教えてあげようか。

 

似たような画風を描くのは

わたしのロボットだけで

他の誰かがかいたら、真似した~って言われるだろう

 

 

版画だったら

1つ作っておいたら

あとでまた、刷ることができるだろう。

 

ロダンのような彫刻は

型があって

今でもつくられている、らしい。。。。。。

 

希少価値といって

少ししかないほうが、価値があがる、という説もあるけど

 

わたしみたいなものは

 

もっといっぱい、いっぱい、いっぱいつくると

人が注目して

もっともっと作ってください、みたいな話になるんだろうから

遠慮して

数を減らして、というよりも

 

どんどん、つくっていった方がいいように思う

 

 

感覚的なものは

すべて、そのときの、感覚、思いつきで

じゃんじゃんやってる

これこそが、

直感であり、感覚であり

 

こういうものが、ちょうどよくマッチしているようだ

 

ちょっと、早いかな、って気がするけど

ちょっと遅いよりは、早い方がいいだろう。。。。

 

3か月か半年くらい、早いかな。

自分のなかで、自分の作品が自分の活動より、

自分の周りの人たちより、半年くらい早いような

 

そんな感じ。

活動していると、その時やったことが

半年後くらいに、日の目をみる、みたいな

そういう意味。

 

 

以前は、活動すると

2年後に話がやってくる、みたいなこともあったのだが

 

本を買うと、その直後にそういう仕事がくるとかもあった。

 

今のこれは

 

絵を描いて

だいたい、半年後に、話がくる

 

今描いているものは

また半年後に、これやってください、みたいな話がくるんだろうな

 

 

そのうちまた、テンポも、タイミングも変わってくるだろう。