■僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった【意訳】 | 暖簾のブログ

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2020/8/19再開

Twitterをきっかけに読ませて頂きました。
Redditで話題になったポストの日本語訳。

を、個人的に読みやすくした意訳版。
(原文はタイトルでググれば出てくると思います)

忠実な翻訳がわかり辛かったので。
僕なりの解釈、と捉えて頂ければ。



【高校生の独白】

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった。

僕はいま高校の最終学年で、次の6月に卒業する予定です。
高校の成績は、ずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。
もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。

総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。
でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人は沢山いるんだということを思い知らされました。

また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。
成績表からAがひとつ盗られたんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。
でも心の奥では分かっています。
あのBは、僕への正当な評価だということを。
あれ以外にも、他のいくつかの科目でBをもらってしかるべきでした。
どうにかそれは避けられたわけですが。

最近、SAT (大学進学適性試験)を受けたら1900台のスコアでした。
ただ単に怠けていたからこの結果だけど、本気を出せばもっと凄いスコアが取れるはずと考えました。
なので、その後もう一度受けてみました。
よく出来た感触はありましたが、結果は前回よりたった約40点よかっただけでした。

昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。
でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。
たぶん親元を離れずに地元のつまらない大学にいくことになるんだろう、と今になって悟りました。あぁ。

あーそれに、僕の趣味といえばゲームとRedditだけなんです。
クラブ活動も全くしてない。
車の免許さえ持ってない。
終わってる。
まぁ、これは僕の知性とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。



【対する返信】


どうも、遅れてすいません。新年を祝うのに忙しくて(笑)
君がまだこのスレをみているとよいのですが。

さて。私はちょっとユニークな視点を持っていると思います。
私は、MITの入学試験を今まで様々な視点で見てきました。
受験生として、学生として、教師として、そして今は有望な学生を面接する卒業生として。
君がMITに触れているのをみて私は、ちょっと時間をかけていい返信をすべきだなと思いました。

私は当初、入学試験に関する標準的なアドバイスから書き始めるつもりでした。
(例えばSATのスコアは大した問題じゃないよ、とか)
そんなアドバイスもありでしょう。
しかし、君の抱えている問題は入試云々よりも遥かに大きなものです。

君が遭遇しているのと同じ問題に同級生たちがぶつかるのを、私は何度となく見てきました。
もし昔の記憶をここに再現できるなら、新入生の頃の私を君にみせてあげたい。

私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。
とりあえずMITに入学したのです。
加えて、一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。
つまり一年先の数学、微分方程式と、物理2という難しい方の物理から始めることができたのです。
履修登録は簡単にできて、私は自分の決断に満足でした。

時間が経ち、壁にぶち当たりました。
私は高校時代、それほど良い生徒ではありませんでした。
悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。
そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか、(そして大抵の場合には)他にやるべきことがあったからなどと言って。

いい成績をとれば、エゴが満たされました。
自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭が良いんだと思えました。

しかし今や、そんな考え方は通用しませんでした。
私はそれまでMITを全く見くびっていたのです。本当に惨めな気持ちでした。


幸運なことに、私の隣の部屋にはRという賢いやつが住んでいました。
Rは、控えめに言っても優秀な学生でした。
彼は2年生でしたが、学部で最も進んだ数学のクラスへすでに出席していました。
彼はMITに来て、微積分、多変量微積分、微分方程式、線形代数、実解析(MITで最も難しいと悪名高いクラス)、そしてその他多くの数学の単位を取得しました。
そしてなにより、彼は魅力的で、やる気があって、社交的でした。
人間なら1つや2つあるだろう欠点もこれといってありませんでした。


微分方程式に半学期悩まされたあと、 プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。
確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。

その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。
ここでひとつ大事なことに思い至りました。
それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなど一つもなかったということです。

彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされていることでした。
必要に応じて学んで訓練したことは知性の道具となり彼の中へ蓄積し、結果として彼には大きな道具箱があるのだと知りました。

彼はそれらの道具をいくつか見せてくれましたが。
私にとっての本当の収穫は、自分独自の道具をどうやって探して、つくって、改良するかという方法を理解したことでした。

Rに憧れ、尊敬をしていました。
私は、彼のズバ抜けた能力と張り合えるようには一生なれないだろうと思うと同時に、その原因がなんだかも分かっていました。
私と彼を比較すれば、私は信念に欠如しており、彼は信念にあふれているということです。
遺伝子の偶然などということではなく。

「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。
とても多くの場合で、あり得るなかでも最も安易な説明です。
なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。


君は今、気づかずにこの罠にはまろうとしています。
君は最初の2段落では自分の知性を問題としていますが、続けて、自分にはふさわしくない良い成績をとったと言って卑下していますね。
やる気のなさが、クラブ活動をしていないことの要因だと君は思っていますが、SATスコアの要因とは思っていないようですね。(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です)
君のこの最後の一文は、投稿した文章全体にもあてはまってしまうでしょう。

> まぁ、これは僕の知性とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。

君がAをとったのは、君がちゃんと勉強をしたか、あるいは授業内容が簡単だったからです。
君がBをとったのは、おそらく、どうやって扱ったらいいのか分からないことや、そう簡単には腑に落ちないようなことを、すぐ理解してしまうのに慣れすぎたからだと思います。

思うに、君は早いうちに認知と知性に関する道具をつくり上げて、新しいことを身につけたり処理したりすることを素早くできるようになったのです。

でも、あまりにもそれに頼り過ぎてしまって、それだけでは対処できない事態に必要な道具を、全く発達させていなかったのです。
私がそうでした。
でも、大学一年の一学期に壁にぶつかるまではそれに気づきませんでした。



君に質問があります。
だれか今までに時間をかけて勉強の仕方を教えてくれた人はいますか?
それとは別に、先生やカリキュラムなしで自分自身で勉強する方法を君は学んだことがありますか?

これらは習得することのできる最も重要な道具です。
なぜなら、この道具を使って、さらに強力でさらに遠くを見通すことのできる道具をつくることができるからです。
それが雪だるま式に大きくなることで、Rのような人間になるのです。

MITの卒業率は97%です。
つまり入学したほとんどの人が卒業します。
3%の卒業できない人と、卒業できる人を分けるものがなんだか分かりますか?
私には分かります。
私は何回もそれをみてきましたし、私自身危うく卒業できないところでした。
MITの4年間を、卒業できないほどの悪い成績で過ごす人はほとんどいません。
実際、そういう人を一人もすぐには思い出すことができません。

MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して今までに経験したことのない難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために、燃え尽きてしまうのです。


うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。

彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。
彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。
彼らは知性や才能の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。


私は、やる気をみつける方法を教えてくれる人と出会えて幸運でした。
インターネット上でできることは小さなものですが、私があなたに対してその役割を果たすことができればと願っています。

私は大学一年目の挫折から立ち直り、学業がとてもうまくいくようになり、同級生、下級生のティーチングアシスタントを務めるまでになりました。
4年生のときには、寮で新入生の横に座り、私がかつて先輩から教えてもらったことと同じことを教えたものでした。

そして彼らが、かつての私が抱いたものと同じ感情と闘い、それを克服するのを見てきました。
MITを卒業するまでに私は、入学時に尊敬していた人になっていたのです。


君はとても若い。
頭があまり良くないのでは、などと悩むまでには本当に若すぎる。
年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。
括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。


君は今、自分は燃え尽きてしまった、あるいは燃え尽きてしまうかどうかの岐路に立っているように感じています。

でも実際には、自分が燃え尽きたことにするかしないかを決断する岐路に立っているのです。
これが自分の決断だと認識するのは、とても怖いことです。
なぜならそれは、自分の未来に対する大きな責任が伴うことですから。
でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。
君にできる何かが、あるということですから。

さぁ、やってごらん。





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初投稿:2012.9/3_02:30


十回以上の編集を行い、直訳とはかなり違う独断と偏見で綴らせて頂きました。
彼が伝えたかった言葉はこうでないかと言葉を選ばせて頂いた所存です。
(一文全体の意訳、単語を継ぎ足すといった日本語訳は大っ嫌いなので、一切行っていません)

…以下、余談…




僕自身、R君のような人に出会ったことがあります。
僕のそれは同級生でなく、先生でしたが。

不可避な問題に立ち向かうとき、どうすればいいか?
彼らは、様々な知恵を持っています。
そもそも知恵とはもって生まれたモノでない。
沢山の物事を知り、納得し、学び、解釈した、後天的な存在。

それは工具のようで、調理器具のようで、裁縫用具のよう。
様々な問題に立ち向かい、築くことのできる「道具」であり、多くの鍛練を積んだRを「道具箱」と評したこの表現に納得を抱きました。


返答者は、自分とRをわけたものがやる気や信念の欠如と語っています。

「道具」は出会いがないと得られない。
万能な正義がないように、万能な知恵や解決法も存在しない。
多様な「道具」を得るには、Rのように社交的で視野を広く持てる器の人間でなくては、得ることすらできない。


僕は昭和の人間の根性論が大嫌いです。
奴等は、こうした多様な視野を無意にし、根性と力業で全てどうにかできると思っている。
違う、それだと燃え尽きる。
脱落してしまう。


燃えるだけの信念ややる気じゃない。
多様な「道具」を受け入れる信念。
偶有性の未来に対する、やる気。
それが必要である、と教えられた文章でした。




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