約10年振り。
地元民は行かないよね。
なんでも原爆資料館は築60年ということで、57億円と5年かけて改築されるらしい。
耐震のみならず、展示もリニューアルするらしいけど……凄い金額。
57億円を使う前の姿を知っておこう、ということで。
原爆資料館の構成としては、2つのフロアと、間に売店がある感じ。
売店といっても、飲食は一切ない原爆の書記関係。
ベンチのある広い空間。
仮に、前半フロア→休憩所→後半フロアと呼びましょう。
前半フロアは、穏やかな弦の旋律と共に、落ち着いた男性の解説音と原爆の地鳴り音が流れています。
それも考えごとのできる低い音量、シンプルな心地よさすらある耳障りが、図書館の中のような静寂感を作っている。
入口にはディスプレイ。
フロアの音源はここからで、目を奪う展示物や原爆投下の映像をガイダンス。
そこを過ぎると『明治・大正期のあゆみ』から始まる、広島市の誕生から町の解説……戦争との関わりや出兵……昭和期……戦時下……と、それぞれ1500字弱が30項目ほど。
一度、連れていかれた大河ドラマの武将展に似てる。
誰が読むねん。こんなのを逐一。←
頭の固い人は、ここでワンクッションを置くことになるのか。
そんな文字ばっかりの解説が、いきなり途切れる。
原爆投下の文字。
原子爆弾、なぜ開発したか?
なぜ日本?
なぜ広島?
に関する資料と解説が続く。
そして広がる、パネルと模型。
文字ばっかりで想像がモヤモヤしたなか、立体模型で、街並みの存在が消える光景を見れるのは、結構な衝撃。
模型も臨場感がある。
フロア二階には、原爆投下後の広島が綴ってある。
どんな生活だったか、どんな原爆被害があったか、どう再生していったかが、パネルだけでなく展示や写真つき。
緑の上着をきた、ボランティアの方が良い解説をしてくれる。
挨拶もよくしてくれて、冷静ある情熱さで、ポイントを押さえながら教科書じゃ知り得ないことを話してくれた。
三階は開けた空間に、文字数の少ない展示物。
世界視点から見た核爆弾の見地。
正直な僕の感想。
(やった、文字が少ない……!)
そこを越えると、休憩室。
深いイメージに没頭した人達は、ここで一息ホッとするように思う。
「疲れた」って顔で、呆然とする人。
まだ知ることへの真剣さがあり、ビデオコーナーで映像解説を観る人。
売店で、原爆の絵本や書記・ハンカチやキーホールダーを買う人。
ここでの反応は様々。
休憩室から渡り廊下を歩いて、後半フロアへ。
途中の窓からは、外にある原爆記念碑と原爆ドームが見える。
後半フロアへ入ろうとすると、何度も見たきのこ雲のパネルに突き当たる。
横へ避けると、更にきのこ雲の写真が複数枚。
うっかり見逃しがちな、柱に『水をください』の文字。
被害者の後ろ姿。
ざわざわ
音のない、無音の臨場感。
壁を曲がると
被爆のロウ人形。
『遺品は語る』と称し、物品の数々。
文字は小さく、最小限。
物を見る、感じるフロアだと直感する人は多いはず。
BGMはなく、空調の音だけが支配する。
その他に、瓦礫や破片で一面を覆った展示。
その背景に、同じ瓦礫や破片が地平線を覆う写真。
空調の地鳴りが、やたら大きく聞こえる。
子どもも空気を読んで黙ってる(笑)
これは知らなかった。佐々木禎子さんの折鶴も展示してある。
びっくりするほど小さい。
今の折り紙の基準じゃない。
確か、薬の入った紙を使って折鶴を折ったんだったか。(母校では、そう習った)
こんな紙だったんだな。
救護活動の様子、被害者のその後をまとめた解説を経て、資料館は出口へ。
暗さに慣れた視界から出る、明るい外はいろんな意味で眩しく感じた。
出口を歩く人の顔は、深刻な表情の方が多かった。
そりゃ、緊張が解けた顔で笑う人もいたけども。
僕が行ったこのときは、深刻な表情の方が多かった。
被爆者の語る映像を食い入るように見る人、記念スタンプを押す人、観光地お約束の来訪者が自由に書ける対話ノートを見る人・書く人……。
他人の感想が見れるのは楽しい。
個人的に、出口直前のトイレ前に大きい椅子が幾つかと給水機が二台あったのが印象的。
倒れる人でもいたのか。
確かに、人によっては神経が滅入るかもしれない。
被爆者だって来られたんだろうし。
……本当は写真も、もう少し撮ってたんですがアメーバでは10枚までしか載せられないそうですね。