某銀行の駐車場横の通りを、車で通り抜けようとしていた時、


そこは信号のない十字路にもなっていて、狭い路地のわり


には交通量がやや多い道路でした。






ぎりぎりすれ違いがきくかどうかの狭い道なので、


銀行の駐車場に出入りする車や、右左折したい車が


狭いので1台ずつ交互に譲り合って通行していました。


私はその路地の手前、車3台分くらいのところにいました。






一人の20代と思われる女性が、携帯電話を操作しながら、


銀行の駐車場から路地を横断しているのが見えました。


いったん渡り切ったのと言うのに、次の瞬間、飛び込むような


不自然な格好をして、道路を戻って渡ろうとしました。


車が曲がってきているのにも気がつかないはずがない状況で、


どう見ても、曲がってきた車に突っ込んでいったようにしか


見えませんでした。






曲がってきた車に接触し、スピードは出ていなかったというものの、


車と人間です。何メーターかは飛ばされていました。




びっくりして、何人ものドライバーが車を降りてその場へ。


もちろん、私も。






見ると、うずくまって、ジーンズの一部が破けて少量の血が


流れていたその彼女が、抱え込むようにして守っていたものは、


2~3歳と思われる我が子でした。






ママは我が身を省みずに、咄嗟に子供を守ったのね。


これが母性、無償の愛と言うものね、と不謹慎にも


感動してしまった私ですが、同時に学びでもありました。


批判ではなく、学びです。






自分の間違った行いが(そういう種を蒔いたから)、


こういう事態を引き起こしたわけです。






小さな路地とはいえ、車の行き来が多い道路で、


2~3歳の我が子の手をとらず、先に渡ってしまった、


しかも携帯操作に気をとられながら。


当然、子供は先に渡ってしまったママを追って、


まわりなど見ずに飛び出すでしょう。








この情景を見たとき、


『これを見せられたのも偶然ではないのだろうな』


と思いました。




『他人事ではなく自分事』


こういう場に出くわした、見たということは、


自分にも何かしら同じ要素があって、


波長によって引き寄せられたのだろうし、


これを題材に、自分を見返ってみなさいという


ことだと受け取りました。






母性とは、強引にそれを沸き起こそうとすることが


母性なのではなく、咄嗟に自分の命を投げ出せる


くらいの打算の一切ない無償の愛。




では、我が子だけでなく、他人に対しても同じ行動を


とることが出来るだろうか、私?





それと、うちの子はもう8歳だから大丈夫、


と油断して子供の安全に注意を計らうのを


怠っていないか、私?





特に、自分ごとで夢中になっている時に、


その傾向がすでにあるのではないか、私?




などなど、自分に多くの質問を投げかけました。






その親子に近づいて、


「大丈夫ですか?」と声をかけると、幸い子供は


怪我はなく、ママもかすり傷程度でした。


銀行の駐車場に止めた車には、彼女の


お父さんと思わしき男性が乗っていたので、


車から降りてきて、「後は大丈夫です」と


おっしゃっていたので、その場を去りましたが。


大きな事故でなく、本当に良かったです。





「なに見ても、実り示さぬものは無し。おのが心に菩提ありなば」


・・・そんな仏教の既存の歌が頭に浮かんできたのでした。





↓更新の励みになります。クリック頂けたら嬉しいです。     
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村