今日配信されてきた言葉は・・・



「周りにいるすべての人は あなたにとっての鏡なのです」



でした。







解説には、


「他人を否定する前に、否定したくなった部分を


自分自身の鏡として見つめるべきです。


それは必ず、自分自身の何かを見せてくれています。


だから、他人の至らなさを責めるより、どうしたら向上


していけるかを、ともに考えるべきです。


(中略)


それが類魂としての私たちのあるべき姿なのです。」









その通りだと、心に響きました。


今年度に入ってから、私はある人物を心の中で責め、


怒りの心をなかなか抑えられずに、


時には、日記帳として使用している別のブログでも、


自分の感情をぶつけるように書き綴ったこと、数回。





でも、あとで残るのは自己嫌悪と虚しさばかり。


ふと冷静になった時に、


「相手は鏡」


「自分の中にも、同じものがあるから見せられる」


と、はじめて自分を見返ることが出来る、


その繰り返しでした。






そして、相手に向けた怒りや憎しみの念は、


きっちり同じだけの質量をもって自分に帰ってきて、


私を、娘を、非常に苦しませました。


本当に、これでもかというほど・・・







でもその結果、本当に気づくことができました。


いつまでも同じところを輪廻していてはいけない、


もう一歩も二歩も向上しなければ、と。






こちらのブログを始めた理由の一つが、


そんなことがきっかけでもあるのです。










スピリチュアルを学ぶようになって知った


「類魂」と言う言葉。




あの世に戻った時、すべての魂は、自分の類魂に帰結して、


その類魂もまた、さらに大きな類魂の一部で、その類魂も


さらにそのまた大きな類魂の一部・・・


つまり、すべての魂は、最終的には一つにつながっている。




だから、広義の意味では、


「あなたは私、私はあなた」ということ。


どんなに責めたくなるようなものを持った人でも、


それはある意味自分自身。







例えば・・・


肉体の中で、自分が右耳だったとします。


すると、左足の親指が怪我をして血が出ていたとしたら、


「私は、耳だから関係ない。」と思うでしょうか。


自分自身と捉えて、すぐさま手当てをすると思います。





では同じく自分が右耳だとして、右膝と左膝が戦争(喧嘩)


を始めたとします。


「あら嫌だわねえ、戦争なんて始めて。


でも遠い国のところだから、私にはあまり関係ないわね」


と、無関心でいられるでしょうか、自分自身の体の中で


起きていることについて。






「類魂」を知ったことは、私にとって大きな収穫でした。


これを知ったことにより、自分と相手が全く同じとまでは


まだ思えなくとも、相手の中に自分のもっているもの、


良いものも、醜いものも見出すことができ、


相手は自分を映し出す鏡と捉えることができるように


なっていったからです。




相手を責めるだけの気持ちから、


相手を通して自分を見返ることができるようになっていったのです。


これは、私にとって大きな宝です。







それでも、今年に入ってから、前述した人物に対してだけは、


どうしても否定してしまいがちな自分に苦しんでいました。


最終的には自分を見返ることができるのですが、


そこに至る過程にどうしても責めてしまっている自分が


いたのです。







でも、9月以降の娘の体調不良を通して、


今度こそ、目覚められた気がします。






そして、私の心が立て変わり、相手にその感謝の気持ち


さえ運べるようになってきたら、相手の態度も状況も、


徐々に変わってゆき、娘の体調も回復したのでした。






そしてフッと、このブログを始めてみたくなったのです(*^_^*)






「周りにいるすべての人は あなたにとっての鏡」


いつもこの言葉を胸に、日々を送りたいと思います。







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