イメージ 1

 

2015年、ママがいた最後の年がもうすぐ終わる。

 

2016年はママが最初からいない年になる。
 
そんな年がもうすぐやってくるのだなぁ。
 
そう思うと2015年が終わるのがすごく寂しくなった。
 
もうママの作ったピロシキは食べられない。
お正月といえばママがたくさん作った手間のかかっているピロシキなのに。
どうしよう、ピロシキのたれの作り方を聞いてない。
なんかタマネギが入ってるような、特別なママ手製のタレなのに。
 
こうやって、ママに聞きたいことがたびたび出て来ても もうどうすることも出来ないのだ。
 
 
ママがいた最後の年、2015年。
結婚して初めて、お正月を大西で迎えた。
朝、ママが作ったお雑煮とおせちを食べ、おとそを飲み
「明けましておめでとうございまーす」と幸せに挨拶をしたのだ。
昼からはしょうちゃんも太一朗もよぴ夫婦も大西家へ訪れ、よぴが作ったおせちを囲み
みんなで乾杯した。
それからカラオケを歌ってママはニコニコ笑っていて、もちろんみんなも笑っていた。
 
2日はすし幸で林家のみんなと新年会。
久しぶりに全員集まってたくさん写真やビデオを撮った。
ママはやっぱりニコニコしてピースサインをしていた。
 
正月明けて、ママが新年会で食べた牡蠣にあたったと聞いた。
それからずっと調子がよくないと言っていた。
春に大腸検査をしたらピカピカだと言われたのよと言って、でも食べても太らないのとも言っていた。
それを聞いて私は、もう老人なんだからそんなに太ることとかないよ~と言ってママもそうねぇ~と言っていた。
その時「林のじいちゃんが胃癌だったからママもなるなら胃癌だろうと思っていたけど・・・」と言っていたのだ。
 
春を過ぎても胃腸薬を飲んでいるのだといっていたママはかかりつけの藤田先生のところで胃カメラを
初めて飲んだのだ。
 
「大西さん、大変なことになっている。」
 
写真にはママ曰く「赤や白や青の見たこと無いような明らかに悪いとわかる」腫瘍が写っていたらしい。
 
ママが今まで受けて来た血液検査は何にも示さなかった。
市が受けろと言う健康診断なんてそんなものなのだ。
 
すぐに福岡大学病院に行って精密検査をしたら、
末期の胃癌だと診断された。
それをまずよぴに電話で報告。
そしてすぐによぴが大泣きして電話をかけてきた。
 
「ママから聞いた?」
「ナニを?なんも聞いてないよ?」
「どしたん?!」
「ひっくひっく」
「パパのガンが再発したと?!」
「違う、ママが、ママが~~~」
「え!?ママ!?ママなの!?」
「ママが胃癌になったって~~~!」
「・・・・!!!」
 
6月の終わりのことだった。