爽やかな朝です

朝の気温は7度と寒いけど

日中は20度位になる様なので期待しよう

 

毎年

忘れずに咲いてくれる

やまぶき

チューリップ

 

 

 

 

 

 

ありがとう

 

〘記録〙わたしのおおパパ

長文になります。

 

大酒飲みで暴れる怖いと思う様になったのは

記憶では小学校3年生の頃からかな。

クローバー

クローバー

クローバー

普段は物静かで優しくて

超超まじめな人で超超頭の良い人だった。

クローバー 

クローバー

クローバー

家で過ごし時はレコードでクラシックやジャズを聴き

コーヒーを落としながら本を読む

たまに東京大丸や遊園地に落語や

日比谷公園豊島園にも連れて行ってもらった。

クローバー

クローバー

クローバー

 

そんな穏やかな人なのに

お酒が入ると目つきが変わり変貌してしまう。

 

大暴れした次の日に覚えてるかと尋ねると

全く覚えてなくておおママやわたしに平謝り。

 

でもお酒がはいるとね。

 

 

 

 

おおパパは決して悪い人ではない

 

 

おおパパを変えたのは戦争だった!

 

おおパパは大正11年4月14日

長崎県雲仙で営んでいた温泉宿の

8人兄弟の末っ子として誕生した。

(現在は本屋さん)

 

躾に厳しい家庭だったそうです。

 

おおパパは弁護士を目指しソウル大学に入り

勉強していたが軍から招集令状が来てしまう。

クローバー

おおパパは特攻隊の将校を務めていた

 

それはそれは辛かったそうです。

気合を入れる為部下を殴る蹴る

 

そして仲間が部下が亡くなって逝く

おおパパにとっては地獄だったでしょうね。

当時おおパパだけじゃないみんな同じ・・・・・

 

 

おおパパがゼロ戦に乗る前日に撮った写真が

残されている。正に次の日戦争が終わった。

 

戦争が終わりおおママと知り合い結婚

結婚後も戦友仲間が飲みに来ては

遅くまで当時を振り返っていたそうです。

 

おおパパは八重洲口にある会社で経理の仕事

おおママは家を建てる夢を叶える為呉服の商売を始める

クローバークローバー

クローバークローバー

クローバークローバー

クローバークローバー

クローバークローバー

クローバー

 

幸せは長く続かずおおパパは

仕事帰り毎晩の様にお酒を飲み段々変貌していき

仕事も休みがちになり生活の為おおママは

益々呉服の商売を頑張るという悪循環に・・・・・

 

やがて生活費も飲み代に変わり

おおママの商売で食べていく様になる。

 

そんな生活で

おおママは10年寝たり起きたり

おおパパは酒乱へと変わった

 

当時呉服の商売は繁盛していた。

 

お客様は

地方裁判所に努める人

学校の先生

わたしの同級生の親

口コミで広まり相当の収入だった

住込みのお手伝いさんもいたし。

 

ある日

飼っていたチャコちゃん(ダルメシアン)が

後左足骨肉腫になり切断手術を受ける為

おおパパに「50万銀行からおろして来て」と

頼んだら「そんな金はない」と。

おおママは働いたお金を全部貯金してくれてると

渡してしまっていたのだ。

なんと全部飲み代に・・・・・・・・

保険金解約すると言えば解約してそのお金もない

それでもおおママは踏ん張ってチャコちゃんの

手術を受けさせた。

 

 

 

そうだよ

お金なんてなくなっちゃうよ

真夜中酔っぱらってタクシーで帰って来ては

大暴れし殴られ寝静まる迄外で犬と待つ

・・・・・

・・・・・

たまに「飲み代持ってこい」と電話があり

おおママが動けないのでわたし(小学生)が

夜中キャバレーにタクシー乗ってお金を持って行くけど

それからが長くてずっとソファに座って待ってると女の人が

カルピスやジュースをくれたっけ(#^^#)

 

・・・

そんな生活だったなあ。

・・・

でもわたしはあっけらかんとしてて

寝れば忘れるという位で嫌な事はすぐ忘れる性格だった。

それが普通の暮らしだったと思っていたのかもしれない。

中学3年卒業手前までは

・・・

この頃から思春期が始まり

許せていた事も何もかもが嫌になり

おおパパが大っ嫌いになった。

 

 

18歳で家を出た

ありえない環境から

主人が助け出してくれた。

クローバー

クローバー

クローバー

クローバー

クローバー

でも

でも

主人と一緒になり子供が産まれ

世間にもまれ段々大人になり

おおパパを許していた

決して望んで行った戦争でもないのに

お国の為に死んでいった仲間達

目の前で苦しむ戦友を見て救えなかった自分に

どれ程苦しんでいたか辛かったか。

おおパパも又戦争犠牲者の一人である。

戦争さえなければ優秀な弁護士になっていただろう。

 

そして自分の弱さに打ち勝てずお酒の力を借りて

自分に負けたんだ。

 

虹

虹

虹

虹

虹

 

そんなおおパパが亡くなったと連絡がきた時は

悲しくて苦しくて悲しすぎて泣けて泣けて

お通夜葬儀の事を全く覚えていない。

写真を見ても泣いてる私がいる。

虹

一切覚えていない

虹

たとえどんなに虐待にあっても

子供は親が大好きなんだ。

子供は親を信じている

亡くなれば悲しい

虹

 

虹

 

虹

 

昨年33回忌を迎えたおおパパ

お酒を飲まない時の

優しく穏やかな笑顔で

おおママを迎え沢山謝ってるに違いない。

 

お願い

どうか

お空の上で幸せに

お願い

長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。