2018シーズン振り返りの第2弾です。

前回の記事では2シーズン目を迎えた布部陽功監督体制で戦った序盤戦について書きました。

今回はボスコ・ジュロヴスキ監督就任後について。

 
 
ボスコ監督就任も大きくは変わらなかった流れ
 
成績不振ということで布部監督は5月に退任。
第13節山口戦は監督代行という立場でしたが、続く第14節徳島戦からボスココーチが正式に監督に就任しました。
攻守ともに問題がある中で、まずはシーズン当初に見られたマンマーク重視の守備をより徹底していく様子がありました。
それまではずっと4バックを主体に戦っていましたが、相手の前線の形に合わせて3バックも併用するように。
相手と布陣をカッチリ噛みあわせ、守備時に見るべき相手を明確にすることが多くなりました(第14節〜第21節まとめ)。
 
しかしこれは裏を返せば、こちらが攻撃する際には相手のマークがしっかりついているということになります。
後方から組み立てていきたい志向はあるものの、実際には運ぶところに問題を抱えていたので、相手の守備をはがせないことが多くありました。
また、特に中盤において個々の守備能力がそれほど高くないために、相手にはついているけれど奪えないといったことも多かったです。
そうなってくるともはや後方に人数を割かないと守ることはできず、より前線に運ぶのが難しくなるという負のサイクルでしたね。
 
もともとボスココーチが布部監督体制時からある程度練習を見ていたわけですし、大きく変わらないのは当然だったでしょうか。
そもそも今回のように、コーチがスライドする形で監督就任して大きく変化することは少ない・・・というか、個人的にはそういうケースが上手く行く方がおかしいんじゃないかと思っています。監督解任っていうカンフル剤を打つだけですよね。
もしサッカーの質的に好転するのなら、それまでコーチはどんな仕事していたんだという話になりますし。
好転するとすれば、最初の段階で監督とコーチの役割分担がおかしかったというものでしょうか。
 
京都の例で言うなら、2015年の和田昌裕・石丸清隆体制もそれに近いものがありました。
和田監督が守備面、石丸コーチが攻撃面を指導ということだったはずですが、石丸コーチはむしろ守備を得意とし、監督就任後も攻撃面ではあまり上積みを作れなかったわけですし。
石丸監督就任後は、和田監督時に整えられなかった守備を急ピッチで整備したことによってある程度好転はしましたが、翌年も含めて攻撃面はさほど変わらなかったですから。
 
話が少し逸れましたが、やることが大きく変わらないため、それほど好転はしませんでした。
相手と噛み合わせても、個々の対応で劣勢になるために下がらざるを得ない守備。
深い位置から組み立てる方法もなく、パス出しに優れる後方の選手もいないために組み立てられない攻撃。
 
今季はそこを打開するため、やることを大きく変えることよりも、人を変えることによって解決を図りました(第23節〜第30節まとめ)。
夏の移籍期間で多くの選手を加入させ、中でも庄司悦大、金久保順、カイオといったあたりは主軸に定着。また、ジュニーニョも重要な戦力に位置づけられますね。

技術の高いこれらの選手が入ったことによって中盤でのボール保持は幾分スムーズになり、落ち着けるようになりました。

また、田中マルクス闘莉王がそれなりにコンディションを上げてきて出られるようになり、前線に長いボールを当てるところから攻撃を考えられるようにもなりました。

新加入の選手も慣れてきたこともあり、8月には3連勝を果たしてようやく降格圏から脱出しました。

 

しかし良い方向に回り始めたという印象は薄く、9月に入るとまた4戦勝ちなしに。

なんとか流れを変えようと布陣や組み合わせを変えたり、石櫃洋祐の右CBやトリプルタワーなど試合終盤に攻撃的オプションを試したりなどありましたが、最終的には昨季同様オーソドックスな4−4−2に落ち着いていきました(第31節〜第37節まとめ)。

オーソドックスな形なので、選手それぞれが役割を理解しやすいという利点がありましたし、CBに牟田雄祐が定着するようになって引きすぎない守備に目処が立ったというのが大きかったですね。
個人能力の差を十分に活かして残留争いの直接のライバルである熊本に大勝し、粘り強く守って上位チームにも勝つなどして最終的に残留を確定させることができました(第38節〜第42節まとめ)。

 

 

ボスコ監督の特徴はチームにマッチしていたのか

 

ボスコ監督は基本的に選手のコンディションを整えることを重視するタイプの監督でした。

シーズン中は軽めの練習やコンディション調整だけで終えることもあったようですし、連戦後にはきっちりオフを挟んでいましたね。

日本では練習を多くすることが良いと考えられがちなので、この練習のセッティングに批判が多かったように思います。

しかし、チーム(特に主力)の年齢構成や、ヨーロッパと比較した際の夏場の気候のキツさを考えると、セルビア人であるボスコ監督がそういった形での調整を多くしたことには一定の理解ができます。

現実にチーム状況として個々の対応に依存していたり、動けないとはいえ闘莉王が前線にいるときに回りやすいという状況があったわけですし、あまり練習で負荷を掛けたくないというのも分かります。

 

今回に限らずですが、海外の指導者ではあまり練習時間を長くしない人も多いです。

特にシーズン中は、試合後にコンディションのリカバーが必要だったり、試合前に疲労を溜めないようにしたりと考えていくと、もともとまとまった時間は取りづらいですから。

もちろんその分のフィジカル・メンタル両面での密度・強度がどうだったかというのは大事ですが、文化の違いを考慮した上で議論する必要はあるでしょう。

特に見る側(ファン・サポーターなど)とのギャップがあると変な空気になりますし、今後も外国人監督が来た場合には懸念されるところです。

日本人は基本的にブラック体質なので(笑)

 
 

話を京都に戻しますが、上でも書いた通り、もともとまとまった練習時間を取りにくい状況で、さらにコンディション重視の状況であれば、戦術的にそれほどやれることはありません。

なので、ボスコ監督が就任後に、それまでの布部体制でやっていたことを大きく変えなかったのはある意味当然でした。

布部監督との関係について詳細はわかりません。しかし、シーズン当初のすり合わせの中で、布部監督の志向する後方から繋いでいくサッカーを尊重するということでやっていた可能性も当然あります。

そうなると、就任後も本来の志向はさておき、それまでのものを踏襲するしかなかったという側面が出てくるでしょう。

それがボスコ監督の志向するものと合致していたのか、ズレがあったのかどうかは気になるところです。

 

とは言え、30試合もの時間があり、さらに戦力補強も多く行った状況ではもっと攻守に整理・整備できなかったのかというのが率直なところです。

一時は正直降格を覚悟していましたが、そこからなんとか残留にこぎつけられるところまで持っていけたことは評価できます。

ただ、なんとか個々の対応や相手との個人能力差を生かして勝ち点を積んだ印象が強く、サッカーの質的には厳しかったな、というところですね(そういう意味ではコンディション重視もあながち悪くなかった)。

コンディション重視の監督だけに、キャンプからトップで指揮していれば違ったものが見えたのかどうかは気になりますが・・・。

また、コンディション重視なのは主に主力選手に当てはまることなので、メンバーに入っていなかった選手についてはどうだったかと考えると、もしかしたら早々に見限っていたのかなという気もしてきます。
J2残留を最優先にしていれば技術的・フィジカル的に使える選手も限られてくるでしょうから。
クラブとしてそれはどうなんだというのはもちろんありますけど。


そうなると、それまでコーチとして見てきていた中で戦力として考えられる人員が限られていると感じていたために、戦術面でも大きな転換を施せなかった可能性も考えられます。

就任直後は特に多くの選手に出場機会を与えていましたが、最終的な戦力の見極めの意味合いが強かったのかもしれません(人がいなかったというのもありますが)。

今季は開幕時の選手数が例年に比べて少なかったですし、その中でやりたいこととマッチする数は・・・となってきますよね。

これまで書いてきたように、布部体制時も含めて過度に攻撃的なメンバー起用や、本来得意とする位置ではない場所で起用されるケースが多かったです。

なぜそうなったのか、と考えていくと、やりたいサッカーと戦力とのミスマッチになってきます。

 

じゃあそもそも最初のプランはどうだったのか、となってくるわけですけど、このあたりの話は次回に・・・。