長井春美の婚活ブログ -3ページ目

強制的にさせられる努力

 強制的にさせられる努力は、もろいのです。と、述べるのは、美術家で作家の横尾忠則さん(朝日新聞「折々のことば」4月23日付け朝刊)。「努力は遊びとして楽しむところがないと、いざという時生きてこない」と。

 なるほどなあ、と思いながら、でも、〈強制的にさせられる努力〉〈価値〉はないのかといえば、そんなことはないに違いありません。そしてむしろいまは、強制的にさせられる努力が、少なくなってしまっているんじゃないか、とさえ思います。

 つまり楽しんでやる努力と、強制的にさせられる努力の、二つがあって、いっこうにかまわない、と私は思う。

 結婚も、そう。結婚には、二つの思いがいつも存在しています。分かりやすくいえば、二人でいるのは、幸せ。だけど、二人のご飯を作るのは、不幸せ、とか、いっしょにいるのは楽しい。だけど相手の分まで、お金を使うのは嫌、だとか(笑)。

  二人が二人でいるためには、楽しんでやる努力と、強制的にさせられる努力が、必ず存在している。その一方は楽しんで、もう一方は、涙を飲んで(笑)、でもやるべきはやらないと、とがんばる。

 強制的にさせられる努力は、たしかに、もろく儚く、ときに無意味にさえ思えるかも知れないけど、それを毎日つないで、みんな今日を生きているのだと思います。決して馬鹿にはできない、と私は思います。