夜と霧 新版/ヴィクトール・E・フランクル

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彼を見れば、人間の本質がわかるってもんだ。

アウシュビッツ収容所など複数の収容所を経験し、生き残ったユダヤ人の心理学者が記した夜と霧。
誰もが一度は耳にしたことあるだろう。
全体的には、収容所を経験する者の心理の変化について述べているが、実際には、著者がその監獄の中で何を感じ、悟ったかという主観的な部分に重きを置かれていた。特に彼の悟った生について述べられている後半は、非常に秀逸である。

フランクル氏との出会いは7つの習慣でコヴィー先生が彼の言葉を引用したことに始まる。

「わたしたちが生きることからなにかを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」
いまだに、人生が僕に何を期待しているかわからないけれど、この言葉がずっと頭から離れない。

彼は、自分を定義するものが収容者番号以外何もなかった。
彼は、常に空腹と睡眠不足であった。
彼は、意味もなく侮辱され、殴られ、虐げられた。
彼と他の収容者は、ごみのように扱われ、多くが死んだ。
彼の家族も大半の人と同様にガス室に送られ、殺された。

彼は全ての苦悩をその身に受け止めた。
性欲もなくし、毎日自分を永らえさせることに全生命を注いだ。
何も感じない感覚を盾に、ユーモアを武器にして。

周りのほとんどの人々は、没価値化。
自我までが無価値なものに思え、精神の堕落または肉体の崩壊で、死んだ。死んだ。死んだ。

彼が生き残ったのには、神に与えられた運が99%を占めている。
しかしそれでも彼は残りの1%を、掴んだからこそ、生き残ったのだ。

地獄のような外的条件で内面的に深まる人々がいた。そう彼とほんの一握りの人々。
愛が人として到達できる究極にして、最高のものであると気づいた。
現時点ではなく、未来を常に見つめた。そして仲間と語り続けた。
生き残る可能性がどれだけ低くても、諦めず、少しでも人間らしくしようとした。

あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは誰にも奪えないのだ。
彼はその自由に対して、自らの生に繋がる行動を常に選び続けることで生き延びた。

アウシュビッツのような特殊な環境でなくても、どんな苦難にも通じる考え方だ。
こういう本を思春期の子とか、自殺とか考えちゃう子とかに読ましてあげたい。

言い方を変えれば、気のもちようって陳腐になってしまうんやけど
私たちに降りかかる出来事と私たちの反応の間にはスペースがあり、どんな振る舞いをするかは無意識的なものを含めて全部自分で選択しているってこと。って言われたら、自分の選択に対して、責任が発生するし、なんだかしっくりくる表現だと思った。
この考えさえ常に持ち続ければ、なんだってうまくいくと思う。
しかもフランクルほどしんどくねぇーし。俺まだまだ余裕!って意味のわからん自信も湧いてくるw
見ないと損な本でした。あぁアウシュビッツに行きたい。


フランクル氏はドストエフスキーの言葉も引用している。お好きな方はぜひ文中を探してみてね。
「人間は何事にも慣れることのできる存在だ」
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」


ちょっと似たプレゼンがあったので載せます。飛んだら日本語字幕あるのでよかったらどうぞ。
フィリップ・ジンバルド:「時間と健全に向き合う処方箋」