小4のとき、僕がすごく悪いことをして、親のようになって泣いて怒ってくれた男の先生がいた。
僕はその先生がすごく好きで、生徒に愛情をもつってこういうことなんだと学んだ。
そんな先生がある日、「花は何故美しいのでしょうか?」とみんなに質問した。
今でも覚えている。僕は「花には多くの色があって明るいから」と答えた。先生は微笑んだ。
そして先生は自分の考えを述べた。「花は一生懸命生きているから美しいと思います」と。
僕も含めクラス全員子供ながら、なんとも言えない幸福感・高揚感を味わった。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/福岡 伸一

ずっとストックしていた本。昨日の夜に友人との会話で「生命とは何か?」って話題の中で気になる箇所があったので、まぁいい機会やし、読んでみた。著者は理系でありながら、本書を私的な経験と詩的な感性で構築し、分子生物学の指南書というよりもミステリー小説と言い表すのが適切だろう。

先に混同しやすいウィルスと細菌についてウィキ先生の言葉を借りて説明すると、ウイルスは他の生物の細胞を利用して、自己を複製させることのできる微小な構造体で、タンパク質の殻とその内部に詰め込まれた核酸からなる。細菌は、分類学上のドメインの一つで、古細菌が持たないN-アセチルムラミン酸を含んだ細胞壁を持つ原核生物のことである。そして今でもなお「生命とは何か?」という問いは自然科学で定義できていないのが現状である。そして本書の結論はこうなる。

生命とは秩序が保たれた自己複製を行うシステムである。
つまり自己複製できるウィルスは生物としては不十分、生命には秩序=動的な平衡が必要ってこと。

動的平衡??観念的に言えば生命の脈動・律動みたいなイメージやね。
ただ他の生物にくっついて自分のDNAを注入して相手に増殖させてもらうウィルスとは違い、生物はみな常にこれまでの進化の過程で作ってきたプログラミングによって、最適解をはじき出せる。例えばある遺伝子を意図的に欠落させたときでも相補性といって、類似品で補完させてしまう。脾臓からたんぱく質を分泌する際に最小のリスクをとって、巧妙な過程で細胞の中でたんぱく質を生成し、細胞外に排出するのである。もう神が起こした奇跡というしかない。常に最適化し、自然淘汰の中で生き残ってきた遺伝子のプログラムは機能的というより芸術的。

そして小4に出会った先生の言葉を思い出す。
DNAという情報だけでは生物とはいえず、生命の脈動つまり美しいものが生物と呼ぶにふさわしいのではないかと思った。一生懸命生きることはミクロで見れば、それは最適解を常に出し続けること。

細胞について徹底的に深めている本ですが、文理問わずオススメの本です。