$やまゆうのブログ
by liber

まさか誰も失いたくないと思っていた矢先の出来事。この意味を考えたい。
友人が亡くなった。めちゃくちゃ近い人ではなかったが遠い人でもなかった。
会えば立ち話するし、個人的にはその人の人となりが好きで、一緒にいるときは居心地がよかった。

耳に入ったのが、その人の葬儀が終わった後で、共通の友人から聞いた。

よくよく考えたら、電話番号もメールアドレスも知らなかった。
よくよく考えたら、その人のことそんなに多くのことは知らなかった。

でもちょっと前に会ったときは、その人は笑顔で話しかけてくれた。
その人が奏でる美しい音色は何よりも代えがたく、素敵なものだった。
その人が死んだなんて実感が湧かない。目の前で起きたこと以外信じられない。

でも、もう話したくてもその人はいないわけで、例え番号を知っていたとしても繋がらない。
僕は精神的には弱っちいほうで、よく周りの人に迷惑をかけて、お世話をしてもらうことが多い。
そんな僕だから、その人の死を実感しないことで、うまく現実と折り合いをつけている。

でも、それじゃいけないから必死で現実に向き合ってみた。
狂うんじゃなくて、もっとちゃんと「死」について考えるいい機会なんだろうって。
その人を想いながら、最後に何を思ったのか、考えてみた。一生懸命考えてみた。

でも、当たり前だけど僕には結局何故死ななければならなかったかなんてわからない。
たださ、ひとつだけ思うことがあるんだ。

「もし1人の人がどうしようもなくなって現実から逃れたい一心で、唯一救いが命を絶つことだったなら、先立たれた悲しさを胸に生きていけばいい。でもその人が生きたくて生きたくて、でもどうにもならなくて死んだのであれば、気づいてあげられなかった罪を背負って生きていかなければならない。」

誰も断ちたくて命を絶つわけではない。今日死んだ80人以上の人々も本心は生きたかったはずだ。
本能がそういっているんだ。これは自明であるし、誰にも否定させない。

無知は罪だ。
知らなかったでは済まされない。気づかなかったでは済まされない。
僕はそんな罪を犯してしまった。この罪(痛み)忘れない。

何にせよ、不可逆である時間の流れには人は逆らえず、こぼれた命はもう元には戻らない。
ただ僕にできることはその笑顔を忘れないことと、その人の分まで笑うことだ。

あなたのご逝去を悼み,謹んで哀悼の意を表します。

やまゆう