前回書いた、「未知数だからこそ、希望を捨てるな」と言われて、

気持ちが高ぶっていたせいもあり、当初は「?????」でした。

でも、こういう症例もあるから、と言われたのです。

 

数年前に、メスのうさぎさんで子宮がんの子を診たそうです。

初めての来院で、その時レントゲンでは肺にキャノンボール(癌の陰影)

が何か所もあり、目もうつろで末期といっていい状態だったそうです。

私と同じく「愛兎をどうにか助けたい」と動物病院を何件も周り救いを求める

飼い主さんに、はっきり末期だとはいえなかったそうで、

先生は内心、自分の診てきた今までの癌になった兎さんの引き出しを

自分なりに充てて「数週間、1カ月もつかなぁ」と思ったそうです。

でも、そのうさぎさんは結果的に1年生きたそうなのです。

 

オペもせず、漢方薬などの内科治療だけで、それだけ生きられた。

だから、もっぷくんも癌にはなったけれど、がんで死ぬとは限らない、

老衰や心臓やほかの事で死を迎えるかもしれない。

どんなに丈夫な動物でも、生きているものはいつかはお別れがくる。

ナカダさんだけが辛いのではく、動物を飼っていれば「別れの辛さ」は

誰もが経験することなのですよ、と。

 

「それと大事な事にも気づいてほしい」と。

「今、もっぷくん痛がってますか?」と聞かれました。

この時は検診で、体調不良での来院ではなかったので

「いいえ、元気に見えます。だから癌があるなんてわかりませんでした。」

「そうでしょう?うさぎさんはね、お腹がいっぱいで痛みや苦しみがなければ

それだけで幸せなんですよ。」と。

 

「人間のように、例えば女の人が乳癌で切除を余儀なくされたら、辛いですよね。

男の人が精巣癌で切除を余儀なくされたら、これも辛いですよね。

人間は痛みを感じなくても、癌の宣告をされれば精神的な痛みを感じます。

でも、うさぎは例えばシンボルである耳や雄であれば睾丸に癌ができても

切除して痛みがなくなれば、そちらの方が幸せなんですよ」とのこと。

冷たい様ですが、飼い主が苦しんでいても、自分が健康ならそれでOK、

「飼い主がいなくなったら、僕の面倒は誰がみてくれるの?」という苦しみや

不安は感じないのだそうです。

飼い主は家族である動物や身内の方が病気で苦しんでいて、何も自分が

できない苦しさや、あと何年いきられるの?とか、経済的にどうしよう?

残された家族をどうしたらいい?とかそういうった類の苦しさは「精神的痛み」で

人間だけが感じる痛みや苦しさで、動物にはそれがないとのこと。

むしろ、歯が頬を突き刺して痛くて食べられないといった苦しみこそ、不幸なのだと。

 

癌が見つかった時、睾丸切除のオペをしなかった事を悔やみました。

2017年の心臓の肥大がまだ軽度だった時が最後のラストチャンス、

もっと言えば若い2歳か3歳の時にオペをしておけばよかったのだと。。

勿論、当時それを考えなかったわけではありません。

でも睾丸を切除して、そこの癌の心配はなくなっても、自分の性格上、

ほかに癌ができる心配が出てきてキリがないのでは思ったのです。

 

なるかならないか分からないものに、メスを入れることに抵抗を感じていたし、

当時はうっ滞や不正咬合と言った他の病気だけで手一杯という事もありました。

帰路の車での運転中、信号待ちでは考えても仕方ないのに、癌の原因を

気が付くと探ったりもしていました。

「昨年のマンションの大規模修繕の騒音のストレスが原因だったのか?」

「子どもが生まれてから、以前ほどかまってあげることが少なくなったのが

原因なのか?」

 

家に帰ってもっぷをケージに戻し、夕飯を用意し子ども寝かしつけ、夜の10時を過ぎた頃、

しーんと静まり返り、心身ともに疲れて床について「明日もやることがいっぱいあるから、

とにかく寝なくては」と分かっているのに、考えても仕方ない事ばかり頭の中が

「これからのこと」「オペも含めたもろもろの後悔や癌の原因」、はたまた何の脈絡もなく

もっぷのバブ期の事が突然頭に浮かんできました。

うさぎショップから我が家にお迎えしたばかり頃、しばらく警戒してまりもみたいに

まんまるくなってばかりいました。ある日それまでケージからずっと出たがらなかった

のに、何かに興味がでたのか扉をあけたままにしおくと自分から出始めて段ボールの

中に入り、ホリホリを始めたのです。

それからは一緒にカーテンに隠れるかくれんぼや追いかけっこをして、

初めて私の後をついてきてくれて「楽しかったね、またやろうね」と気持ちが

通じ合えた喜びの瞬間の時のことなど、とっくに忘れていた事が、

雑念が、頭の中を駆け巡り、否が応でも神経が研ぎ澄まされて、

寝られない。

 

「こんなに辛いなら、動物を飼うべきはなかったのか」と追い込まれるような

気持ちになったりもしました。

 

でも、子どもの寝顔を見て、「いや、それは絶対に違う。もっぷは私にたくさんの幸せを

くれたのだ。最後までみてあげたい。」

そう、「みてあげたい。」と思ったのです。自分にできる事はできうる限り、痛みや苦しみを

とってやり、ナデコが大好きなので、なでてあげ、食べられるなら食べやすいごはんを

作ってあげ最後まで面倒をみてあげたい、と思いました。

 

私はもっぷくんのために、もっぷくんを飼ったのではなく、自分のためにもっぷくんを

飼ったのです。もっぷをお世話することで、喜びや自分の存在意義というか価値観

を見出してきたのです。ふわふわで触るとあったかくて、なぜかほっとする。

うさぎさんを飼っている、飼ったことがある人なら、分かってくれる感覚だと思います。

子どもが生まれてからは、もっぷにとっては充分な環境や世話ではなかった事は

認めるものの、できうる限り、精一杯もっぷに愛情をかけてきました。

病院に行くとか仕方のないこと以外は、嫌がる事は決してしませんでした。

綺麗なものをみる喜びや楽しい思いを共有したくて、うさんぽをさせたり、

田舎に一緒につれて行きたいとも思いましたが、ストレスになることは分かり、

その類は一切せず、その代わり体調が悪い日以外は部屋んぽをしてナデこしたり、

一緒に遊んできました。

 

もっぷが本来丈夫な体で生まれてきてない事は、ほぼ毎日世話してきた

私自身がよくわかっています。

それが9歳を超えて生きてくれたのです。震災の時も、たくさんの病気も乗り越えて

私を支えてくれました。勿論、もっと一緒にいたい気持ちはあります。

 

でも悲しいかな、愛情と寿命は別問題なんですね。

愛情が深ければ長生きできて、愛情がなかったから長生きできない

ということではない、生き物はそんな単純なものでは決してありません。

だから、よその兎さんを比較したところで、もっぷがよその子たちより幸せか

あるいは不幸だったかは一概には決められません。

もっぷを精一杯面倒みて、この結果ならばそれを受け止めるのも

愛情の一つなのです。

 

飼った当初は、こんなに懐くとは思わなかったし、もっとシビアな生き物だと

思っていました。感情が豊かで、愛くるしく、誠実でなにより優しい子です。

なでる事でミニ豚が癒されることを知ってるので、私が部屋に入ってくると

扉のそばに来て、スタンバイしてくれるのです。

 

この状況は本当に辛く、しんどいですが、逆に言えば、それだけもっぷと

心が通じ合えたからこそ、別れが辛いという事なのだと思います。

 

今日はゴールデンウィーク中日、新しい年号「令和」の初日です。

おめでたい日にしんどい状況ではありますが、今は残りのもっぷとの

時間を大切にしたいと思います。

ただただ、もっぷに「ありがとう」と、ほんの少しの「ごめんね」を思いながら。

 

ミニ豚より