$ボディケア&リフレッシュ Giada-時には我慢も

久々の更新になります。

今日、友人との会話の中で出てきた
"我慢"という言葉を聞いて

ふと、

そういえば我慢という字は、"我"の"慢"心と書くよなぁ…
似た意味で辛抱という言葉があるけど、こっちは"辛"さを"抱"えるだなぁ…

なんて思って
自分なりに色々と思いを巡らせてみる。


我慢

なぜ我慢するのか。またしないといけないのか
お金で手に入る物を我慢するっていうのには、当てはまらないかも知れないのだけど

社会活動の中でする我慢となると
自分はこうしたい、こうなりたいんだけど、我慢する。となると思うんです。

そこには、必ず自分の意見なりがあって
我慢の度合いが強ければ、その自分の意見の強さも
比例して大きいのではないでしょうか?

言わば、強くなった自我を抑えることが、我慢と言えるのでは?
我慢は、自分の中に不満を溜め込む事になりますよね。

不満、これは溜まると、いつかはドーン!なんてことに。
不満が溜まってる状態にも我慢が付きもの

こう考えるとどんどん大きくなってしまいます。



辛抱

「今はこうだけど辛抱しなさい。きっと良くなるから」とかに使われるかな?

同じように、辛いことや苦しい事に耐えるんだけど
自分じゃどうしようもないのかな。受け入れるしかなくてw
でも、この状態がいつまでも続くはずはないと信じてる。

自分がこうなったら、こうして解決しよう。
こうなったら解決できるはずだから、今は・・・とか

ぼんやりとだけど、辛抱の先には、希望があるようなイメージ。
辛いんだけど、それをいったん受け入れて抱える事で消化する。

受け入れるには、仕方がないだとかの諦めも入ってるので
不満の無い状態じゃないかと思うんです。




自分を取り巻く環境の中で、様々な圧力を受けるこの社会
自分じゃどうしようも無いことが沢山あります。


それを受けて、じゃぁ自分は我慢をするのか?それとも辛抱するのか?
ここで大きく何かが違ってくるように思います。


「辛抱はしても、我慢はするな」
って言葉もあるそうです。

上の写真のように
時にはで良いと思うんです。