西郷隆盛が少年だった頃の薩摩藩は、
正妻の子と愛人の子の後継者争いにより、
いろんな人が死にまくりマクリスティー。

 

当時は第10代藩主の島津斉興先生の
時代だったのですが、11代目を誰に
するか問題で、血が流れまくったのです。

 

まず、薩摩藩には家老の調所広郷という
オッサンがいたのですが、このオッサン、
愛人の子の久光を11代目にするために
動いていたのでした。

 

現代で言うところの百田尚樹先生が
俺は「ノンフィクション作家だ!」
言いながら、やしきたかじん最後の妻と
言われている遺産独り占め愛人オバサンの
言い分だけで小説を書いたような感じです。

 

ところが、正妻の子である斉彬を支持する
若手グループが「あのクソジジィのせいで
薩摩藩はおかしくなっているんだぜ!」

家老の調所広郷を追い出すため、琉球での
密貿易をリーク。

 

徳川幕府から取り調べを受けることになり、
「殿に迷惑がかかるのだけは避けなければ
ならない」
と、調所広郷先生すべての罪を
背負って切腹。

 

面倒臭いジジィを消し去ることに成功し、
これで正妻の子が11代目になるだろうと
思ったのですが、面倒臭いジジィを消した
斉彬派の若手グループを恐れて、久光派が
まさかの一致団結。

 

「オマエら、久光様を殺す気だな?」
言いがかりをつけ、「はい、殺すつもり。
はい、殿の息子を殺そうとするヤバい奴。
オマエ、切腹しろよ。切腹!切腹!」
と、
とにかくイチャモンをつけては殺しまくる
泥沼戦争に発展。

 

とにかく斉彬派というだけで切腹や脱藩を
強要しまくって、こんなにやりたい放題に
やられてしまうのはさすがにヤバすぎると、
江戸城に「助けてくだせぇ!」とSOS。

 

すると、このお家騒動に徳川家が介入し、
「ケンカするな、バカタレ!」の一言で、
みんなが「ははーっ!」となったので、
11代藩主は正妻の息子の斉彬さんになり、
めでたしめでたしだったのでした。

 

ちなみに、8代藩主の島津重豪さんが
これまたオランダの学問に熱心に打ち込み、
オランダの影響をガンガンに受けまくって、
天文館を創設するなど、お金を使いまくり、
薩摩藩の財政を一気に悪化させていました。

 

なので、同じようにオランダの学問を熱心に
勉強していた11代藩主の島津斉彬さんは、
8代目のジジィみたいに城を滅ぼしかねない
散財をするんじゃないかと心配されましたが、
意外とちゃんとしていたようです。

 

なんか西郷隆盛の話をしているだけで、
毎日がどんどん過ぎ去ってしまいます。
この続きは、また明日。

 

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