─ ちょうど10年前の5月14日、ウォリアーズは、2010年にジョー・レイコブとピーター・グーバーが率いるグループによってフランチャイズが購入されて以来、最も重大な決定を下した。
ケビン・デュラント獲得よりも急激ではないが、より永続的に極めて重要なことだ … ─
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テンション高く行きます
先日、ロングドライブの途中で寄ったサービスエリアから、朝焼けと橋が綺麗だったので!
WAAAAARRIOOOOOOOOOOS!!!
と叫びたかったのですが、
朝5時でしたので、Xで叫びました!
はい。
“橋をみたらウォリアーズと叫ぼう”シリーズ!
デス!YEAH笑
途中でサンフラワーというフェリーが横切りました!
船となると、キャプテンクレイを思い出しますなぁ。
ウォリアーズと契約更改してくれたらイイなぁ
先日、スティーブ・カーがウォリアーズに来てからちょうど10年、という記念のXがポストされてて、そんなにかぁ〜って前髪をちょっとグリースで上げて固めてるカーの姿を思い出しました!
若かったなぁ〜笑笑
さらに、NBA関係のメディアと記者が選ぶ優秀なコーチの賞を受賞した!
おめでとうコーチ!
功績を祝われると、必ずと言うくらいに、マーク・ジャクソンの土台があっての今のウォリアーズがある、と前コーチの尊敬を忘れないカーコーチの会見、懐かしい。
それを見たワタクシは、つい、涙ウルってなってたことも思い出します。
それまでの蓄積があったにしても、ウォリアーズに来た初年にいきなりNBAチャンピオンですものなぁ、凄かった。
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『ウォリアーズの極めて重要なKerr-over-Jacksonの決定は10周年を迎える』
(現地2024//5/14)
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ちょうど10年前の5月14日、ウォリアーズは、2010年にジョー・レイコブとピーター・グーバーが率いるグループによってフランチャイズが購入されて以来、最も重大な決定を下した。
ケビン・デュラント獲得よりも急激ではないが、より永続的に極めて重要なことだ。そして、それは当初、ロッカールームのメンバーに受けが良くなかった。
2014年5月14日、スティーブ・カーがヘッドコーチとして採用された。
これは、マーク・ジャクソンの解任からわずか8日後であったため、即座に困惑、白けた懐疑論で迎えられた。
アンドレ・イグダーラは、チームの最も尊敬されるベテランだったが、ジャクソンの解雇に疑問を抱いた。
ステフィン・カリーは、NBAの浮上を指揮したジャクソンを’偉大なコーチ’と言い表した。
ドレイモンド・グリーンは、チームは前年比の改善とフランチャイズの22年ぶりのNBAプレーオフ連続出場を言及し、この決定によって「砕かれた」と言った。
それがカーが1日目に入った環境だ。
カーは、親しみやすさ、謙虚さ、ユーモア、共感、率直さを組み合わせて選手たちを魅了し、その全てが相まって、ゴールデンステイトに40年ぶりのNBAファイナル優勝をもたらし、球団記録となる67勝15敗のシーズンをもたらした。
ジャクソンは、NBAの付け足しから尊敬されるチームへとウォリアーズの認識を変えることに大きな責任があった。
カーはウォリアーズをバスケットボール界で尊敬されるチームからNBAのエリートチームに加わるチャンピオンシップ・フランチャイズへと押し上げた。
全ては、10年前の5月の2週目にオクラホマシティのプライベート・エアポートの格納庫でウォリアーズがカーに会ったからだ。
あの時、カーはサンダー対クリッパーズのウェスタンカンファレンス・セミファイナルのTNTアナリストとしてそこにいた。
ゴールデンステイトは、ゼネラルマネージャーのボブ・マイヤーズとアシスタントGMのカーク・レイコブ、選手人事のディレクターのトラビス・シュレンクとジョー・レイコブが代表として出席した。
ウォリアーズは2つの選択肢に絞っていた。
オーランドやマイアミのヘッドコーチだったスタン・ヴァン・ガンディーと、フェニックスのゼネラルマネージャーだったがコーチではなかったカーだ。
カーは、当時、フィル・ジャクソンが率いていたニューヨーク・ニックスのコーチ就任のオファーを検討していた。
彼はシカゴ・ブルズ時代のカーをコーチした人物だった。
ヴァン・ガンディがデトロイト・ピストンズと契約したとき、ウォリアーズはカーにロックオンした。
カーはマーク・ジャクソンの解雇理由を知りたがった。
ウォリアーズは、カーのコーチングの信条に興味があった。
カーは準備万端だった。
彼は、パワーポイントのプレゼンテーションでコーチングの青写真を図式化した。
ジョー・レイコブ曰く、それは「我々を驚かせた」ものだった。
カーはニューヨークを離れ、ゴールデンステイトに入団した。
コーチ探しは終わった。
“スティーブ・カーとボブ・マイヤーズを合わせて私のドリームチームだ。”
2日後、オークランドでジョー・レイコブがカーのお披露目会見てそう言った。
“これがドリーム・チームだ。”
カーは、選手たちの多くがジャクソンへのサポートを公に表明してきたのを知っていただけでなくそれを理解もしていた。
2011年6月にジャクソンを雇うというレイコブの決断の裏にある要因の1つは、彼の名前の知名度がそれを必要とするフランチャイズに全米に渡る宣伝効果をもたらすだろうことだった。
ジャクソンは、インスタント・アイデンティティと一定の信頼性をウォリアーズを与えた。
彼は、25年前のジョージ・カール以来、ディフェンスを要求し、それをわかっている最初のコーチだった。
“マーク・ジャクソンはこのチームのディフェンスを構築した。”
カーは、到着したとき、ゴールデンステイトの三流のディフェンスについて語った。
ジョー・レイコブが喜んだのは、カーがジャクソンと大きく異なっていた点が2つあったということだ。
1つ目、カーは、アシスタントの基準を引き上げ、ベテランのアルビン・ジェントリーをオフェンスのコーディネーターに、ロン・アダムスをディフェンスのコーディネーターに採用した。
2つ目は、カーの生まれながらの有効的な性格が、球団内での自分の立ち回りをうまくできたことだ。
カーの信条の1つである’joy’(喜び)は、カリーの信条と完全に一致しているが、バスケットボールのパフォーマンスとは無関係な他の人と一緒にいるときにも、その信条が滲み出る。
簡単に言えば、カーの存在は、建物内の幸福度を高めたのだ。
チームの成功についても同じことが言える。
1年目に優勝、2年目にはNBA記録となる73勝、3年目にはデュラントの加入と2度目のNBAファイナル優勝、4年目には3度目のタイトル獲得だ。
カーが最初の契約を結んでから10年、ウォリアーズはリーグ最強のチームであり続けた。
優勝回数は4回、レギュラーシーズン最多勝利数(519)とポストシーズン最多勝利数(99)。
グローバルを含むいくつかの指標によると、ウォリアーズは、最も人気のあるフランチャイズとなった。
カーが加入した当時、ゴールデンステイトは、NBAの全米放送のテレビ放映回数で6位だったが、それ以降は毎シーズン1位か2位を維持していた。
カーとカリーのコンビは、四半世紀以上前、マイケル・ジョーダンとフィル・ジャクソンがブルズで優勝を勝ち取って以来、最も実り多いコンビだ。
マーク・ジャクソンは、2014年以来コーチをしていない。
彼の経歴とウォリアーズでの経験は、彼がもう一度チャンスを与えられるに値することを示している。
しかし、10年前にあの空港の格納庫で下された決断は正しかった。
数字は嘘をつかない。
垂木(天井の梁)に掲げられた優勝旗も、嘘をつかない。
】(情報元:Warriors' pivotal Kerr-over-Jackson decision hits 10th anniversary
by Monte Poole )
それで思い出した。
3月にチェイス・センターでチャンピオンバナーを探したらアリーナ内に見つからなかった。
オラクルの3つは見たのだけれど。
チェイス・センター内のガードマンにも聞いたけど、知らないって言われて。
4つの優勝旗、拝みたかったなぁ
どなたか見られた方、いらっしゃいますか?
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