この歌を口ずさみ平和教育を受けて広島で育ちました。


被爆二世という言葉は口にしてはなりませんよ…母や祖母の言葉に妙な違和感を覚えた記憶があります。


あれだけ悲惨な出来事を経験した一族にも関わらず恨みの言葉は聞いた記憶はなくて


親族で母方の爆心地に近いお寺の前住職は平和の語り人として講演しておりました。


同級生にアメリカ原子力研究所に勤める両親を持つ子供や被爆者を治療研究する親の子供もいました。



毎年毎年この時期になると平和を意識せざるを得ない環境にいました。


小学生の頃からアメリカへ行きホームステイや旅行、ホノルル市長に平和のメッセージを届けた事もあります。

この年になって原爆を落とされたという事より平和を意識する教育を受けてきたのだとわかりました。


広島を離れてみると平和教育がされていない地域がほとんどで…



海外に出る様になって戦争や原爆に対する感じ方や考え方の違いを知り驚きました。



シンガポールに住む様になってからは、日本人だとわかると殴られそうになったり、怒鳴られた事もありました。



のんきなのか鈍いのか…と自分を問う事もあります。



しかし、我が娘や息子がかなり幼い頃から何度となく資料館を訪れておりました。



次世代へのメッセージを私なりに伝えたい気持ちがあるのだと思います。



今年も暑い広島から世界へ平和へのメッセージが発信される事でしょう桜