どうしても平常心ではいられない。

病室で私の寝てるベッド周りに親族が集まった年、当時34才。

 

気持ちがリンクして、心が苦しい

色々な事が手につかない自分の弱さを感じる。

 

今後、息子達が私のブログを読む事があると、見込んでの書き綴り

 

当時、長い入院生活の中で最初は、体調が悪すぎて、何も考えられなかった。(携帯電話は持っていたが、メール機能がなかったような記憶)

5日くらいして、ようやく、家はどうなっている?

子供達は幼稚園に行っているのだろうか・・・

お弁当は?

 

お稽古ごと、私しか、連絡先知らないから、恐らく無断休みしているだろうな~(その後、子供を通わせる事ができなかった為、稽古ごとをやめさせる事になり、息子の未来を変えてしまった後悔が今も残る)

 

ナースステーションの中のベッドにいる。という事に気づき、事は深刻なんだと思った。

看護師さん、もの凄~くやさしい。

口がきけない状態だったので筆談。

何日めか?記憶がないが、夜、自分の枕元から警報音みたいな音?がして、気になって一回、目が開いた。がすぐ閉じてしまった。

看護師さんが変わるがわる、私を呼ぶ。

しかたなく目を開けた感覚。

母の顔が目の前に。 なぜ、母がいるか?という事より

母のまつげが全部白い。

その事が気になって、必死で目を開けくいいるように母の目を見た。

後々思い起こすと、その時、母は、私が思っている事を、そのまま声にだしていた。

 

私が呼んでいないのに、遠方の親が来ている

=極めて状態が悪い

 

と、理解。部屋の中に機材、数値、点滴、酸素を送っている数値を見て、生命の維持をしてもらっているんだ・・・と

 

最初、筆談で子供の事が気になり書き置きのようなことを書いたが、いよいよ、大変になって来た時、親への申し訳なさが頭の中100%になった。

 

当時、夫へは・・・何とかする人だろう・・・

子供・・・・様々な事を心配する気持ち。

親・・・・・申し訳ない気持ち。 

 

幸い、私は、その後何回か、入退院繰り返しながらも、長男の就職まで、次男の大学入学は見届けられた。

 

今、母方の従妹が乳がんで手術し、退院して、社会復帰しているが、彼女は、離婚し、娘とともに、新たな生活をたくましく送っている。

 

昨日、義妹も大きな手術をして2週間入院後の退院。

ぽっちゃりだった義妹は、2まわり小さくなった感。

いつもの弾ける元気がまだ復活しない。

早く復活してもらいたい。