“水俣病”をもっと知らねば!
日時: 2021年11月7日(日曜)・8日(月曜)
午後2時~4時30分
会場: 西南コミュニティーセンター(西南学院大学内)=福岡市早良区
西新6-2-92
You Tube ライブ配信(見逃し配信有)
講師は、緒方正人(漁師・水俣病患者)、山田真(小児科医)、田口ランディ(作家)、実川悠太(水俣フォーラム)-敬称略
チケット:一般当日 1500円、 20歳以下当日900円
グリーンコープ組合員 無料
ですって。
お近くにお住まいの方は是非!
私には、福岡は私には遠すぎる……。
水俣病に関しては、映画も上映されましたね。
ジョニー・ディップ主演の「MINAMATA」
2021年9月23日から全国公開されていました。(10月から公開のところもちらほら。)
(ネットより拝借:ユージン・スミスWilliam Eugene Smith)
水俣病を追った写真家ユージン・スミスさんを映画化したものらしい。
ウィキペディアでざっと彼の人生に起こったことを読むだけでも、
もう心が痛くなる。
第二次世界大戦中、アメリカの「従軍記者」となっていた彼は、
砲弾の爆風により全身を負傷した。
左腕に重傷を負い、顔面の口蓋が砕けた。
約2年の療養生活を送ったが、生涯その後遺症に悩まされることになった」
って。
そして、来日して水俣病のことを取材している時、
「1972年1月7日、
千葉県市原市五井にあるチッソ五井工場(現・JNC石油化学市原製造所)を訪問した際、
川本輝夫率いる水俣市からの患者を含む交渉団と新聞記者たち約20名が、チッソ社員約200人による強制排除に遭い、暴行を受ける事件が発生した。
ユージンもカメラを壊された上、コンクリートに激しく打ち付けられて脊椎を折られ、片目失明の重傷を負った。
ユージンの後遺症は重く、複数の医療機関に通い続けたが完治することはなく、暴行の容疑者は不起訴処分となった。
この事件でユージンは『患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった』と自らの苦しみを語った。
ユージンはチッソを告訴することも勧められたがそれを拒み、その後も水俣市と東京都内を行き来しながら、患者らの後押しを受けて撮影を続けた」(ウィキより)……って。
なんて野蛮なチッソ五井工場!!!
私はもう何年もいや、何十年も?水俣病については機会あるごとに読んだり、公演を聞きに行ったり、映画を観に行ったりしていたけれど、
ユージン・スミスの名前も知っていたけれど、
彼が日本でこんな目に遭ったことがあるとは全然知らなかった。
私がこんな目にあったら、もう日本なんて嫌いになっちゃうよ。
映画館にはまだ怖くて行けない私だけれど、この映画は絶対なんとしても見ようと思う。
そして、花鳥風月、日本の細やかで温かい心根などは大好きだが、
それとは全然違って、憎悪する部分もある。
どーしようもなく腐った日本人根性、
非合理的で情緒で誤魔化し、問題を徹底的に追求・解決しようとしない姿勢。
弱いものいじめが大好きな卑怯で陰湿な部分。
事実をまずニュートラルに受け止めようとしない性質。
などなど……(悲しいかな、己の中にもその要素は否めないのではあるが……。)
そういう部分には吐き気を催しながら、お手上げだ……と思っていたが、
まず日本人自身が日本をよくしていかなくてどうする?
と、
ユージン・スミスさんの生きざまを知り、改めて思う。
C.W.ニコルさんの講演も印象的だった。
彼は水俣病だけではなく、日本の森林を憂い、かつての日本の森林を取り戻そうとしてくれていた。
(2019年に亡くなられた後、今もその活動は続いているのだろうか。)
ちょっとググったら、
「幼い頃に、やはりノルマン系イングランド人の軍人であった実父が太平洋戦争中にシンガポールで日本陸軍の捕虜となって処刑され、」
……って、あちゃー!
ここでも日本人、なんてことしてくれちゃってんの? で、ある。
戦争は相手の人格を問わず、「敵」という立場の人間を「殺していいもの」としてまかり通してしまう。
情報も信じられなくなり、猜疑心と憶測と恐怖と狂気と蛮勇のごった煮状態になるよね。
人間が人間性を失う。
私は戦争しないために戦わなくてはならない、と思う。
ひとつひとつ真偽を糺し、間違いは正していくしかないじゃん。
すべきことをしよう……。できることを、しよう。