今日から、少しづつ、日記形式にて、不妊治療のこと、身の回りでおこったことなどかいていきたい。 まずは‥私の不妊の経歴について。ここではつつみ隠すことなく書いていこうと思う。
私は今現在35歳。5つ年下の旦那が1人。仕事は保育園のパート。結婚したのはもうすぐ32になる、31歳の時。 その時は幼稚園に勤めていたが、子どものことを真剣に考えるべく、いや、家から遠いこともあったが、34の年の3月で幼稚園を辞める。 「子どもが欲しい」そう、子どもは欲しい。 だけど、私にとって子どもは本当に必要かどうか分からない。 なぜなら‥。私には子どもは「生まれない」とどこかで思ってしまっている。

話は独身の頃にさかのぼる。 まだ、23,4のころだったと思う。お尻がどうにもかゆくて、かゆくて‥。恥ずかしながら、初めて1人で産婦人科に行く決意をする。 要は「カンジタ」だったのだが、その日から10日あまり、婦人科に通わなければならなくなった。 余談ではあるが、そこの婦人かは夜8時までやっているため、働いていた私としてはありがたいことであった。が‥先生達が、特に理事長がひどく嫌な人だった。「カンジタ」について知識のなかった私は、「遊びすぎ」のようなことを言われて、ひどく恥ずかしかったし、嫌な思いした。でも、通わないことには完治しない、と言われて頑張って通っていた。

何度目かのときに、一番感じの良かった若い先生が 「あなたは、子宮が二つに分かれているため、子どもが出来づらいかもしれません」と言われた。 その時は、「出来づらいんだ‥」と多少のショックがあったが、出来ないといわれたわけではなかったし、当時の彼氏になぐさめてもらい、心の隅にそうかもしれない、と事実が残っただけにとどまった。

それから、その当時の彼に大失恋した後、また「カンジタ」が再発してしまった。 また、その夜まで診療している婦人科に通うしかなく、また通院が始まった。 その時は最初から自分から「以前子宮が別れているといわれた」と言ったような気がする。たまたま、その時の先生が理事長だった。 診療した後、その先生の言葉は未だに忘れることが出来ない。その先生は、 「本当はこれは不妊なんだよなぁ。だから今まで妊娠したことなかったでしょう?」 って‥。これはひどくショックでした。私は独身だったんですよ。妊娠できなくて当たり前じゃないですか。避妊だってしていたんだから。 私は泣き崩れ。でも、先生は優しい声など一切かけてくれない。 唯一看護婦さんだけが「心配なら大きい病院へ行ってごらん?」と声をかけてくれた。すごく、ありがたった。

その時は親にはとっても言えないと思った。 何故なら私の親はとても心配性。きっと口にしてしまったら、「私がちゃんと産んであげられなかった」 と言われるような気がする。だから言えなかった。その代わり、前の職場でお世話になった、G先生に電話する。泣きながら‥。 「お母さんは、子どもが出来なくても、あなたが幸せならそれでいいと思うものよ。」 その先生はそうおっしゃってくれた。 それで少し救われたけど‥それ以来「私は子どもを産めない」 そう脳裏にやきつけられてしまった。

独身の私は、どうしたら「親が傷つかないか」そればかり考えていた。 「そうだ、結婚しなければ、子どもは?と聞かれなくてすむ」 そんなことまで考えた。

そのころ、勇気を出して、大きな病院に行っていればここまで悩まなくてすんだだろう。 だけど、その時は大きな病院に行って「あなたには子どもを望むことは出来ません」 それを言われるのがなによりも辛かったのだ。

そんなわけで、私は、ずっと、「結婚できない。子ども出来ない」 そう思いこんでいた。 そんな私が結婚した決め手は‥。 今の旦那が、まだつき合ってもいないというのに、何かの話から、「僕は子ども大嫌い」 そう言っていたからだ。 変な話、この人は、「子ども欲しいから結婚」もしくは、「結婚したからには、子どもを」と言われないですむ、と思ったのだ。 結婚してから、夫婦2人だけの生活は楽しい。お互いが好き勝手なことを出来る。お金だって、働いていれば、好きな物を買ったりだって出来る。 でも‥35目前にして、「子ども」を意識するようになっていった‥。 続きは明日‥。