3月11日の2時40分頃から発生している地震によって、日本はとんでもない事態になっている。

詳細は新聞に書いてあるけれど、自分なりに日記として記録しておいたほうがいいかも、と昨夜ふと思い、これからなるべく書き続けたいと思う。


◆3月11日(金)

あの日、私はたまたま東京に出ていて、地震発生当時は都内のビルの13階にいたけれど、本当に死ぬかもしれないと思ったくらい強い揺れが何度も襲ってきて本当に怖かった。揺れがおさまり、階段で降りられるようになってすぐに1階まで降り、家族に公衆電話で電話し、無事を知り安堵した。こんなときに携帯は本当に役にたたない…。公衆電話もいつの間にか長蛇の列に。その後品川駅まで歩いたものの、いつ電車が復旧するかもわからず駅前で食料を買って安全そうなところをさまよっているうちに某ホテルに避難民をみつけ、この日は結局このホテルのロビーで一夜を明かすことに。水やブランケット、椅子も提供してくれ、トイレも公衆電話もある良い避難場所を見つけられて本当に良かった。ここで感心したのがホテルマンの対応。丁寧な口調のなかにも厳しいというか有無をいわせない口調でその場を仕切り、その場には何の混乱もうまれなかった。そして避難民の一人の若い男性がたぶんインターネットで得た交通情報やニュース等を都度アナウンスしてくれて、次第に皆も拍手し始め、なんとなく連帯感がうまれていた。留学中も感じていたけど、こういうときに日本人の良さや礼儀正しさがあらわれるのかも。7時頃に近くのコンビニに行ったら、買占めで皆が殺到し店が満員電車状態になって、どこが列の最後尾かもわからないけれど、誰も横入りしないし、物を奪いあったりもしなかった。


◆3月12日(土)

他の避難場所に比べれば恵まれた環境にあるとはいえ、ほとんど眠れず…。

前夜パンやコンビニで買ったサラダを食べたものの、ものすごくお腹がすいてしまい、早朝5時過ぎくらいにホテルのカフェで朝食をとって、少し元気を回復。おいしいものを食べると本当に精神的にも楽になるなぁっと実感。そして7時から運転再開見込みといわれていたJR東海道線に乗るべく、6時ごろ品川駅へ到着。駅にシャッターが下りていて、改札外にあるテレビで初めて地震被害の映像を目にし、ショックを受けた。でも、とりあえず家に帰りたいという思いが強く、それから2時間強駅で電車を待ち続け、始発電車に乗り、11時過ぎにやっと帰宅。踏切ごとに止まるので、通常の4倍くらい時間がかかったけど、でもその間何も起こらず帰れてよかった。まだ避難していた先で帰れない状態の友達もいたけれど、とりあえず無事でよかった。帰宅後は何をして過ごしたんだろう。。テレビを見たり、安否を心配してくれた友達にメールしたりしたことしか覚えていない。


◆3月13日(日)

本当はTOEICのテストを受検予定だったけれど、開催延期になり、自宅で1日身の回りを片づけたりして過ごしていたような。ちなみにTOEICは結局延期ではなく中止に。

いざというときのための災害時用バッグを用意し、少し安堵。来てほしくなかった誕生日だったけれど、地震でなくなった人たちのことを考えれば生きていられることだけありがたいと思うことができ、少し前向きな気分に。こんなときにどうかと思ったけど、NZから買ってきたマールボローのピノで家族と乾杯。最近はフランスやイタリアワインを飲んだりしていたけど、やっぱりNZワインは格別においしい。


◆3月14日(月)

6時20分から予定の計画停電に備えて、家族で5時半頃から起きて朝食をすませたりしたものの、結局停電は中止に。なんだか肩すかしをくらったような気分。7時くらいから家族と交代でコンビニやスーパーに食料や生活必需品を買いに出かけるも、電池もトイレットペーパーもすでに売り切れ。見事なくらいにガランとした棚…

朝コンビニで菓子パンとかを買えたのはまだラッキーだったのかも。東北の人を優先しなくてはいけないのはわかるけれど、こちらの生活も今後どうなるのだろう。。物の値上がりや経済力ダウンは免れない。就職先を見つけるのもますます難しくなるだろう。特に目指していたワインのインポーターでの就職は厳しいことは確実。なぜなら、本当はこの日参加予定だったNZワインイベントが地震とそれによってワインに甚大な被害(どうもたくさん割れたよう)に見舞われ開催中止になったから。。さまざまな不安はあるけれど、前向きに進んでいけるようがんばろう。そして自分にできることを探さなくては。