前回のワンネス体験をしてもこの世界のドラマは続いていく

 


 

 

 

 

続きです

 

 

ワンネス、ワンネスとよくスピリチュアルではいいますが

そこに気づいたとしても

 

その中でどう生きるのか?

世界は粒々で出来ている。

 

 

 

 

意識が抜けて、思考がストップし、今だけに意識を向けた時

時間が止まり、細かな光の粒子が振動し

その振動が繋がりあっている。

草も木も建物もそして、私も。

私は自分の振動を世界に大きく広げている。

 

 

 

それは

意識的ではなく

ただ、全ての生き物が

振動して、繋がり合っている世界に

影響を及ぼしながら

一つの世界を作っている。

 

 

 

 

そう、勝手にそうなっているのだ。

 

 

 

だから

「私なんて、どうせ」

とか

「生きてる意味なんて全くない」

「何の影響もない」

思考は思い込む。

 

 

 

 

過去にそう言う体験があったから

その体験にしがみつく。

 

 

 

 

けれど、意図せずとも

ここに「いる」のだから

必ずあなたは

振動して、周りに影響を及ぼしている。

 

 

 

 

だから

自分なんて、と言うのは

周りと繋がっている意識からかけ離れていて

分離している

とも言える。

 

 

 

 

もっと言うなら

振動し合って、光の粒々が繋がり合っていふのだから

孤立している

と言うのはありえない。

 

 

 

 

私なんて生きている意味がない

と言うのは

大きな間違いだ。

 

 

 

 

でも、そんな宇宙の真理を知って

「どういきていくのか?」

と言う、3次元の現実が大切になってくる。

 

 

 

 

なぜなら《概念だけでは生きられない》から。

この世界という小さな

サイコロキャラメルの箱の中に

選択をして

閉じ込めている自分。

 

 

 

 

 

その「サイコロキャラメルの中にいるんだ」

 

 

 

 

と言うことを

大きな粒々で繋がりあって

私という存在はみんなと共にいて

さらに

大いなる一部に溶け込んでいるんだな。

と。

 

 

 

 

心、魂の故郷を知っていれば

どれだけだって

サイコロキャラメルの中で

遊ぶことが出来る。

 

 

 

 

実相の世界を知ってるだけで

今の視点に余白が生まれ

あえてそれを楽しむ。

 

 

 

 

すなわち

問題に巻き込まれなくなってくる。

 

 

 

 

そこに気付けることを

愛は意志だ

と言えるだろう。

 

 

 

 

愛は全自動

でも3次元のサイコロキャラメルにいる私たちには

意志が大切。

意志を持って

人生を進む。

 

 

 

 

すると、いつのまにか

サイコロキャラメルの世界が

幻想だった

と気づいていく。

 

 

 

 

気づきながら

意志で本来の故郷に戻り

また、サイコロキャラメルの世界で

存分に

遊んで味わう

 

 

 

 

それが

ここに生きる

喜びでもあるのだから