最近はWordPressのイミンホブログばかり更新してセラピストとして何も発信していないと言う…(汗)
なので今回は自分自身の体験を書いてみます。
私は昨年の9月20日未明に愛猫をfipで亡くしました。
自分自身がセラピストで無ければ酷いペットロスに陥っていたかもしれないと思っています。
40数日、殆どつきっきりで昼夜問わず看病した末の壮絶な最期でした。
断末魔の叫びをあげながら私の腕の中で息絶えた姿を思い出すと今でも涙が出ます。
生あるものはいつかは逝きます。
そして死は永遠のわかれでは無い事も知っています。
だから私はたえられますが、それでも悲しいものは悲しいし、もっと裕福であったなら助けてあげられたかもしれないとどこかで自分を責めているのも事実です。
そんな日々を過ごしていた先日、母と二人で見ていたテレビで動物の火葬、葬儀を人と同じようにして下さる新潟のお寺の住職が出ておられました。
葬儀を終えた飼い主さんに住職が手渡したお手紙に書かれていた内容がとても素敵だったんです。
「あなたはこの子が最後に選んだ場所なんです」
ごめんなさい。言葉そのものは異なります。私が記憶したのは内容ですから…。
動物が自分が最後に過ごす場所、最期を看取ってくれる相手を選ぶ。だからペットを飼うと言う事はその子の最期を看取ると言う事なんだと…。
確かに私の愛猫ミケはある日突然実家のガレージに住みついて、どこへ行くのも足元にスリスリしながら付いて来ました。
それで家の子に迎えようと病院に連れて行くと、エイズと白血病のダブルキャリアだと発覚し、我が家の他の猫たちと同居がかないませんでした。
獣医さんは、「他の子たちと一緒にはしないで下さい。感染の危険があります。それでもこの子が選んだ場所がきっと1番安心出来て落ち着ける場所でしょうから、このままガレージに置いてあげて下さい。お願いします。」そう仰いました。
ガレージには大きな3階建てのゲージがあって、居着いた時からそこを寝床に決めていたミケ。
フカフカのベッドを買ってゲージに入れました。
後はあちこち棚をつけて窓辺で日向ぼっこ出来きるようにしたり、夏場は風通しを良くする為に窓に網を貼り、シャッターは50cm程開けて木枠に網を貼り付け、扇風機を回し、冬場は木枠にアクリル板をはめ込んで外を見られるようにしました。
コンクリートの床では可愛そうなのでカーペットを敷いて。
物置と化していたガレージは片付けられミケ専用の部屋になっていました。
道行く人が皆さん可愛がって下さって、毎日網越しに会いに来て1時間ほどミケとお話して帰るおじいさんがいたり、小さな子供と一緒にしゃがみ込んでミケを見ている親子の姿があったり。
ミケは野良猫だったのに、いつもご機嫌さんで人懐こくて決して爪を立てない本当に良い子でした。
リードをつけて外をお散歩してもすぐに帰りたがるほどガレージがお気に入りでした。
去年の春、白血病が奇跡的に陰転し、滅多に無い事だと獣医さんをビックリさせたほど、元気で綺麗な子でした。
エイズだけならそう簡単に感染しません。それで他の子たちと一緒に暮らさせてあげよう!とガレージから2階の居室への通路のドアを開けてミケが自分の居場所を自由に決められるようにしてあげました。
少しづつ居室にいる時間が増えて、キャットタワーの1番上に登ったり、他の先輩にゃんこ達に習って食卓テーブルの上で昼寝(^o^;)したり、でも本当に眠くなるとガレージのゲージに戻る。そんな幸せな時間を満喫しつつあった時のfip発症。
突然下半身麻痺になり、あっと言う間にその命は燃え尽きてしまいました。
苦しんで、苦しんで、苦しんで…。
だから、その住職の言葉が私の癒やしに聞こえました。
ミケにとって、行き場所が無くて、お腹をすかせて、彷徨って、ヘトヘトになって、やっと辿り着いた先が私達だったんだ。
苦しませてしまったけれど、それでもあの子は間違いなくこの家が好きで、私達の事が好きで、一緒に過ごした時間はお互いに幸せで。
ある日突然当たり前のように家族の一員になった不思議なミケの行動…。
我が家は昔から沢山の犬猫と暮らして来ました。
どの子との出会いも大切で、どの子とのわかれも痛くてせつなくて。
ミケがその昔私と一緒に暮らしたどの子の魂なのか?と考えても皆それぞれ全く性格が異なるから、私には分からない。
私は子供の頃から動物の死に立ち会う事が多かったような気がします。
病気や怪我で瀕死の状態の子、まだ息がある場合は病院に連れて行く。元気になって我が家の一員になった子もいるけれど殆どは看取りになってしまう。道端で亡骸と出会って血だらけ子を抱えて連れ帰り弔う。
時には普通なら立ち入らないような場所に、まるで呼ばれている気がして覗き込んでは亡骸と出会う。
実家のガレージは長らく車は無くて、いつもシャッターを少し開けてあります。
そうすると弱りきった野良猫達が入って来て、まるで私に「最期を看取ってね」と言わんばかりにおとなしく身体を撫でさせて、最後のご飯を食べて私の目の前で息絶えるのです。
この1年の間にも何匹看取った事か分からない。
私はいつも語りかけます。
「今度生まれて来たら、最初から私を探しておいで。たとえ私が今と違う姿でいてもきっと分かるよね?!いつかまた会おうね。幸せに暮らそうね。」
考えて見れば、ミケはそんな中の1匹だったのかもしれない。
「約束通り私帰って来たのよ!ちょっと迷っちゃったけど。私はここのお家の子なのよ!」そう言わんばかりに、ある日突然当たり前のように現れたミケ。
痛くて苦しくて辛かっただろうに最後の最後までご機嫌さんで私を信じて看病させてくれたミケ。
あのテレビを見て、住職の手紙を読んで思い出せました。
一緒にいた時間はお互いにとってとても幸せな時間だったと言う事実を。
私は無宗教なので、お骨を持ち帰って弔うとか、お墓がないと可愛そうとかそこまでは考えない人間です。
生ゴミと同じ扱いの都市もあるのですが、私の住む街は幸い動物の亡骸はペット専用の火葬場で火葬してくれます。
但しお骨は帰って来なくて、埋立地の土となります。
我が家の犬猫達は代々その方法で弔って来ました。
私の考え方は「土に帰る」それだけで良いと思っているからです。
実家はお墓もお仏壇も有りますが、現に私の夫の家は代々お仏壇だけでお墓は有りません。
ミケを見送った後、心が折れそうな時にプロポーズしてくれた20才年上のおじいちゃんと結婚したんです。
言わばミケが仲人さんです。
弔うと言うのは、私は心の問題だと思っています。
先に逝ったものたちを思い出し、懐かしみ、愛おしく思う心。
肉体は死んでも魂は死なないのですから。
またいつか必ず会えると信じて、生きている私達は今を精一杯生きる事こそが供養になるんだと。
って偉そうな事を書いてますが、分かっていてもしょっちゅう忘れちゃうんです。そして心が折れそうになる。
兄に会いたい。ミケを抱きしめたい。そんな事を思って涙しちゃうんですよね。
その新潟のお寺のホームページを探してみました。
そこにあった「言葉の贈り物」と言うページ
心が軽くなるかもしれません。
自分に対する過度な責めを手放す助けになるかもしれません。
以上です(^^)
もう直ぐミケの一周忌なので、久しぶりにセラピストとして真面目に自分の体験を書いてみました。
セラピストも人間です。
皆様と同じように泣いたり落ち込んだりしながらまた前を向いて歩き出す事を繰り返しています。
「なーんだ!意外と駄目じゃん!」と思って頂けたらウレピヨ(✿^‿^)
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ではではもう日付も変わり月曜日になりました。
今週もコロナに負けず頑張りましょうヽ(*゚ー゚*)ノ