逆転で5度目Vの浅田真央「いつもと同じように滑ることができた」=全日本フィギュア女子
スポーツナビ 12月25日(日)21時29分配信
フィギュアスケートの全日本選手権は25日、大阪府門真市のなみはやドームで行われ、女子フリースケーティング(FS)では、SP2位の浅田真央(中京大)が118.67点、合計184.07点で逆転で2年ぶり5度目の優勝を飾った。鈴木明子(邦和スポーツランド)が119.67点、合計179.27点で2位、SP首位の村上佳菜子(中京大中京高)は、107.13点、合計172.69点で3位となった。
以下は浅田のコメント。
「終わってほっとしました。後半の得意のトリプルループを失敗してしまって、すごく悔しかったです。後半も特に疲れることなく、滑ることができました。スタミナに問題はありません。
(冒頭をダブルアクセルにしたが)パーフェクトな演技を見越しての判断でした。リンクに出ていく直前に(佐藤信夫)先生と相談して決めました。
(今朝の練習では調子が良かったが)今朝から、トリプルアクセルの回転が良くなりました。1試合ごとに、回転が以前跳んでいたものに近づいています。ただ、トリプルアクセルで負荷をかけて崩れるよりは、全体を考えました。
(しばらくスケートを休んだ後再開してどうっだったか?)思ったより悪くなかったです。ジャンプや体力も問題なかったです。信夫先生とずっと一緒にやってきたものが徐々に出ているんだと思います。毎日が練習と生活の繰り返しで、余計なことを考えてる暇がなかったです。試合に向けてやらないと、と思って。
(SPを2位でフリーを迎えたが?)ショートで離されることが多かったのですが、今回はほとんど差がなくフリーだったので、ここからがスタートだな、と思いました。
(5度目の優勝だが?)気持ちの部分でも、いつもと違う状況でした。いつも通りと思いましたが、ショートではやっぱり何か違うという感じがしました。フリーでは、いつもと同じように滑ることができたと思います。2011年を優勝で締められてうれしいです」
いつも寄り添ってくれていた母、匡子さんが9日に死去。悲しみの中での強行出場だった。葬儀翌日の13日からリンクに戻ったが、この間の休みがスケートにも影響していた。佐藤信夫コーチは「急激に練習を再開したので、筋肉痛を起こし、なかなか痛みが取れなかった」と打ち明ける。
ピンチを支えたのは、日々の鍛錬の積み重ねだった。佐藤コーチは「日ごろの努力の継続で、体が動いたんでしょう」とうなった。
オフは匡子さんの病床時も体幹を鍛え続けた。フリーの後半まで、滑りきる体力を培った。代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に頼らない演技を目指し、オフにスケーティングやステップの技術を磨き、“脇”を固めた。
「笑顔で、華やかに伸びやかに滑ること」を心がけたフリーの演技曲は、十分に滑り込んできた大好きな「愛の夢」。SPに続いてトリプルアクセルを回避し、他のジャンプにも乱れが出たが、それでも総合力で他を上回った。
「スポーツ選手として、いまやるべきことをやる」。アスリートとしての自覚が導いた逆転での日本一。母の死を乗り越えた笑顔の浅田の姿があった。(田中充)
真央「お母さんが一番近くにいるという感じがした」
スポーツナビ 12月25日(日)22時53分配信
以下は浅田のコメント。
「世界選手権に出られると決まってすごくうれしいです。世界選手権ではもっともっとレベルアップできるように頑張ります。昨シーズンの最後に『愛の夢』を最高のレベルで演技できなかったので、今年は最高のレベルで滑れるようにと心がけて練習していきたいです。
昨シーズンは初戦から自分の思うような演技ができないまま世界選手権を迎えて、世界選手権でもあまり良い演技ができなかったのですが、今シーズンは初戦から徐々に安定もしてきていますし、良い状態でシーズン後半を迎えると思うので、そういう意味で自分の今の状態はとても良いんじゃないかなと思います。
(お母さんにどんな報告をしたい?)今回(お母さんが)一番近くにいるという感じがしたので、何も報告しなくても分かっていると思います」
「喜んでくれる」亡き母に優勝届けた浅田真央
25日に大阪府門真市のなみはやドームで行われたフィギュアスケートの全日本選手権最終日。9日に母親の匡子さん(享年48歳)を亡くした悲しみも癒えない中、この大会に出場したバンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央選手(21)(中京大)が逆転優勝。大きなミスもなく演技を終えると、満足そうな笑顔を見せた。「たくさんの声援を受け、多くの方に守られていると感じた」と、詰めかけたファンの大きな歓声に応えた。
5度目の全日本選手権優勝。これまでの4回と、どう違うのかと、報道陣に尋ねられると、「自分もうれしいし」と口を開いた後、少し間を置き、「(母も)喜んでくれると思います」と、言葉を絞り出した。
例年、クリスマスの時期と重なって開催される全日本選手権。浅田選手は姉の舞さん(23)と一緒に小学生時代、この舞台に出場するようになった。すると、それまでそっと部屋に置かれていたクリスマスプレゼントが自宅に帰っても見つからなくなった。姉妹は、クリスマスプレゼントは両親が贈ってくれていて、大会に付き添うようになったために、準備できなくなったのだ、と初めて知ったという。両親の愛情を知った大会でもある。その舞台で、浅田選手は天国に旅立った最愛の母親に、優勝という一つしかないクリスマスプレゼントを届けた。