そういえば… | mimiの愉快な毎日

mimiの愉快な毎日

2001年生まれの三つ子。出産時のトラブルで脳性麻痺による脳原性運動機能障害の男の子と元気な女の子2人の子育て記録。

ブログを始めて、1年。

でも、その前は自分でHPを作って少しでもノエルの障害を理解してもらいたいことと、多胎妊娠のリスクの高さを知ってもらいたいと言う気持ちから、始めました。


でも、HPを管理するって育児をしながらだとなかなか無理だったので、可愛いこのアメブロを選び始めたけど…

最初の多胎のリスクって事、伝えていなかったから…


mimiは結婚して子供は、すぐ出来るものだと思いました。

でも、環境が変わったり生活のリズムが変わったから、今になって思えば精神的に疲れていたんだと思います。

妊娠はなかなか無理でした。

不妊?と悩み始めて、病院へ通いましたが、結婚1年もしないのに病院へ行くから、先生も驚き!

ようは、ノイローゼだったのかも。

検査をしても問題なく、時間を待つように言われましたが、先生が少し卵に力をつけてあげようと、薬を処方されました。

実母は大反対!

5つ子が妊娠するんではないかって、排卵誘発剤ではないかって病室の先生に詰め寄りました。

先生の言葉は

作ろうと思えば5つ子だって6つ子だって出来ますよ!でも、この薬は多くても双子ですから大丈夫です。

そう笑いながら部長先生は、話しました。

安心した実母も、1回だけと許してくれました。

私もこれで駄目だったら、少し時間を持つことにしようと決意しました。


飲んですぐの検診。

結果は妊娠。

診察台に乗り、先生の診察が始まりました。

妊娠は尿検査で知っていたので、着床しているかを確認していた最中に事態は起こりました。

にこやかな診察室。

先生との会話も、妊娠しているから喜びに満ち溢れていました。

でも、急に静かになり看護婦とコソコソ話し始めました。

カーテンが引かれているので、診察台にいた私は悪いことが起こっているんだと勝手に思い、これは私だけの秘密にして流してしまおうとまで決心しました。

すると

mimiさん、双子かな?もしかしたら3つ子?4つ子ではないから大丈夫!

驚きました。

出来ても双子って言った部長先生は、診察室へ行ってから説明するといい、私は母を呼び一緒に同室してもらいました。


入室した私達親子に対して先生は電卓をはじいて、

いやぁー、60万分の1ですなニコニコ


と。

それを聞いて、何だか笑ってしまい3つ子以上から合法となっている、減胎の説明を受けましたが、3人を産むことに決めました。

即決でね!


最初の病院では、NICUの設備がなかったので、先生の紹介でA病院へ行くことになりました。

それからと言うもの、15分以上の歩行・車での移動は禁止。

重くなるお腹に、シロッカー手術といって子宮を縛る手術、出産前の管理入院など、多くのことが制限されました。

それも、待ちに待った妊娠だったので、嬉しく毎日を過ごしていました。


10月1日

ついに出産間近の管理入院をする日です。

長期戦のこの入院は、沢山の人との出会いがあり本当に楽しい入院でした。

私の体調も本当に良くて、この16日後に起きる事態なんて、誰一人想像つきませんでした。


出産のことは、長くなったので次に書きます!