考えさせられました。 | mimiの愉快な毎日

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2001年生まれの三つ子。出産時のトラブルで脳性麻痺による脳原性運動機能障害の男の子と元気な女の子2人の子育て記録。

実はこの何日か更新できなかったのは…最近更新していないから、心配されていないでしょうねあせる

fbは更新していたのですが…


とにかく、更新できなかったのは、義母のお姉さんが亡くなりました。

伯母には47歳になる障がいを持つ息子さんがいます。

ジストニアと言う、脳性まひに似たような症状ですが、知的に遅れはなく47歳ですから当時ノエルが通っているような支援級や支援学校が、平等にされていなかった時代。

伯母は息子さんの能力を学歴がないのは悔しく、普通級で小・中・高と通わせ、大学も受験し卒業させたお母さん。

その歴史には、本当に言葉では言えないくらいの大変さがあり、私をいつも力ずけてくれました。

そして、私にだけそっと”私の苦しみを、本当に分かってもらえる人が出来たわ”と、私に涙ながらに話してくれました。


今ノエルが学歴を頂けるのは、この年代のお母様や子供達の努力があったからだと、心から感謝しています。


…でも、残念なことに、高学歴がある息子なのに、変な部分は障がいを理由に甘えてしまった息子。

親の死を前に、親離れ出来ていない息子。

ノエルと比べたら、エリートの中のエリート。

でも、精神的には弱く自立出来ていなかった。


伯母が危篤の状態の中、泣き崩れる息子を病室から出し、一喝してしまった私。


ノエルには、彼の姿を見せたくなかった。

何でも出来るおじちゃんが、大泣きして母親から離れられない…ご飯が食べられないと駄々をこねる。

頭は良くても、生活の自立・精神面での自立を目指さなければいけないのだと、本当に伯母の死を通して勉強させてもらいました。


いつも子供達を可愛がってくれて、私の理解者でもあり、良き先輩ママでもあった伯母。

私が死ぬ時、ノエルには泣いたとしても、年齢に応じた悲しみをして欲しいと強く感じました。


ノエルは通夜・葬儀と参列させましたが、おじちゃんに頑張れよ!と言わんばかりで肩を何度も叩いていました。

彼は”ノエルに励まされちゃったよ…逆だよな!”と葬儀のときには、立派な紳士に変わっていたので、安心しました。