2013/11/30 移植を決めた日 | 白血球が増えちゃった 白血病(CML急性転化)→骨髄移植

白血球が増えちゃった 白血病(CML急性転化)→骨髄移植

慢性骨髄性白血病(CML)闘病記
グリベック→スプリセル→タシグナ→ボシュリフ服用。
2015年 骨髄性急性転化。骨髄移植しました。




このブログを書いた日

http://s.ameblo.jp/chiebutax/entry-11998256181.html

希望に導いてくれた ボスチニブが
効いていないということが
医療に疎い私でも気づいてしまった時。

先生の前では笑えるのに
診察室を一歩でも出たら 笑顔は無くなった。



冷静になろう。そう心で決めていた。
普通でいたつもりだったけど
おばあちゃんには見抜かれていたんだろうね。




実は、スプリセルに耐性を持った2013年
いまから 一年半前、
タシグナが効いてホッとした時に
私は以下のブログを書いていました。

当時の心境を残したくて
一年半もの間、下書き保存していました。





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スプリセルからタシグナに変えて。
検査結果は著しい数値回復をみせた。







先生が電子カルテの画面を見せてくれた。
そこには、ずらり書かれた英文が。
私の病気歴だった。



隠れてこんなことしていたんだそ♪と話す先生。





そしてこの画面を見せながら説明されたのは
タシグナもじきに耐性が起こるだろうと。

自身も
グリベックやスプリセルのように辿るだろうと予測をできていた。





『移植しよう。今すぐと言わない。元気なうちから前もって準備しよう』





五年ぶりに言われた移植の言葉。
私、何で泣かないんだろう。





この日はバンクにHLAがあうドナーさんがいるか 調べてくれるってことで

お願いして病院を出る。







先生からこんなことを言われました。

『ケーキは二個までを解禁するね。』って。

食べれなくなるから思う存分食べておけって。




もしかしたら、この日のために禁止をしていたのか、






病院を出て直ぐ
高円寺駅にあるトリアノンへ。


ちいさなときに両親が毎年誕生日ケーキを買ってくれた場所。


20年以上行かなかったけど
無性にここに来ていた。




買ったあとは真っ直ぐ帰宅。







ブログはまだ公表したくないから
タシグナが順調だと2013.11.30の検査結果を書く。


喜びのコメントが続々と。






みなさん、ありがとう。

でもごめんなさい。わたし移植することになるかも。


まだ言えない。






栄子さんに言えない。

兄にも言えない。



弱い私が出てきている。





2013/11/30 のブログ
全てからの解放


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それから今に至ります

担当医と話し合い
3月より本格的に移植準備に入りました。



私が私らしく いれるように
先生が必死で 笑わせてくれてますヾ( ´ー`)



移植にためらうことはない。
あの時から充分考えてきたし
いまの苦しみから 解放される一歩になるならば、


バンク経由なために きちんと書けませんが

ま、いまはこんな時点であることを報告します。





アメンバ記事では 一足先に 骨髄
バンクに登録したと書きましたが
改めて ご報告。





今は 慢性骨髄性白血病の移行期。
だけど 全ての分子標的薬に耐性をもった。

グリベック
タシグナ
スプリセル
ボシュリフ

耐性に関わるレースなら
輝かしい記録になります。

ボシュリフは1日も効かなかったから
私の記憶からは消えました(笑)




今は とにかく楽しく過ごすようにしています。