気持ちの整理がつくまで、書けないな、、、と、思い、今日となってしまいました。



何故なら、また、セレモニーのナレーションで泣いてしまったからです、、、



初めて、私が引退セレモニーのナレーションをさせていただいたのは、NEOの松尾永遠でした。

『笑顔で去りたい』と願っていた永遠らしいセレモニーで、ナレーションが泣くという大失態をしました。

その後、セレモニーのナレーションをさせていただけなくなり、、、

当たり前です。

ニュースキャスターが、ニュースを読みながら泣いていると同じですから。

そんなニュースキャスターさんは、いないです。



NEO解散、となった日も、もちろん私にはやらせてもらえないだろうと思っていました。

でも、田村欣子さんが、、、

『引退セレモニーの私のナレーションは、ちはちゃんにお願いしたいです!』と、私にチャンスをくださいました。


『絶対泣くなよ!』と、一言付け加えて、、、




原稿をはやめにいただき、心を『無』にして、何度も練習をして、、、


いざ、本番。

泣かずに読み終えることが出来ました。


その姿を見ていた、ネオプラス(アイスリボン)副社長が、『あの子、松尾さんの時には泣いてしまったのに、泣かずにがんばったね。』と、ほめてくださっていたのを、数年後に知りました。




メアリ姐さんの希望により、道場での引退試合。

チケットは早々に完売。

道場マッチで、盛大にきちんとした引退セレモニーで見送りたい。

その気持ちが強かったのと、田村様のセレモニーで泣かずに読み終えられたことに、自意識過剰になっていたのだと思います。



泣くと思いませんでした。


ダメでした。


最低、、、





落ち込む私に『おばちゃん!泣きすぎやでー!』と、GAMIさんが笑いながら声をかけてくださいました。


申し訳なさすぎて、お客様の前に立てない、、、と、大会終了後の売店に行かず、事務所での作業をしました。

逃げたのです。



最低、最低、私、最低。

ルツコという弟子がいて、こんな大失態をまたするなんて、何が師匠だよ!


荒れる私に、記者さんが『ちぃちゃんらしくて良いじゃない。気にすることないよ。』と、声をかけてくださいました。


落ち込む私に、つっかが『感情がある証拠です。』と、慰めてくれました。

ありがとう。。。

優しいね。。。



その言葉に甘えてはいけない。



私の師匠、石田亜矢子は、喜怒哀楽の激しい人間ですが、ナレーションで泣いたことはありません。

それがプロです。



私はまだまだだと痛感をした、内藤メアリ引退セレモニーでした。


でも、いつまでも引きずっていても何も変わらない。


『反省しても後悔するな!』NEOの先輩、宮崎有妃さんのお言葉。

私の胸にいつもある大切な言葉。


反省しても後悔はしません。



まだまだだと気づけたから、まだまだ勉強が必要。

まだまだ私はがんばります!





メアリ姐さんは、アイスリボンで私がプライベート的な弱音を吐ける唯一の存在です。


ひとの悪いところを見るより、ひとの良いところを見つける。

自分の目で見たものを信じる。


常にそういう姿勢の方です。



学ぶことが沢山あるから、まだサヨナラをしたくなかったです。

でも、引退=サヨナラ ではなくて、引退=新たなお付き合いの始まり なのですよね。


業界の先輩後輩を取っ払って、これからは人生の先輩として、私の支えでいただきたいです。



また一緒に、AOコーナー行きましょうよ!




また235に愛車を貸してください。三人でスリリングなドライブに行きましょうよ!





そして、また三人で、怪しげな場所に泊まりに行きましょうよ!













内藤メアリ

1974年6月3日

春日部市出身。

内藤家、三人兄弟の長女として、誕生。



子供の頃から、運動が苦手。

運動会の前日は憂鬱になるほどでした。




学生時代は、吹奏楽部、副部長で活躍。

学年成績2位、という、典型的な文化系女子でした。


国立、埼玉大学、教育学部に進学。ちなみに、初恋も、大学1年と遅咲きです。


当時、ボランティアで障害者支援団体、にじの会に参加。

どんなに障害が重くとも、あたり前に、自立をした生活をおくる支援をする活動を行い、卒業後、そのまま就職。



就職後、職場の仲間に誘われ、初観戦をしたプロレス。

勝敗にかかわらず、輝くプロレスラーの魅力にはまり、様々な団体を観戦をするようになりました。



アイスリボン観戦の際、プロレス教室の存在を知り、地元、埼玉ということもあり、2010年に、職場の同僚、新田猫子と参加。




2011年2月26日、プロレス教室、第1号として、都宮ちい戦で、デビュー。

この年に、同じくプロレス教室から、デビューした、新田猫子、成宮真希とNキューブを結成。



同年8月の後楽園ホール大会、オープニングイリミネーション6人タッグマッチに出場するが、開始わずか、23秒で、オーバーザトップロープにより、戦線離脱という、大失態をおかす。



また、その年末の、後楽園ホール大会、またしても、100秒でオーバーザトップロープにより、戦線離脱。

その頃から、ミスオーバーザトップロープという、ほこらしくない呼ばれ方をされてしまうようになりました。


しかし!翌年3月の、後楽園ホール大会では、その呼び名を、さかてにとり、オンリーオーバーザトップロープルールにて、身長195cm、体重120kgを誇る、超巨大な、あの、石川ジャイ子から、シングル初勝利を納める、大金星!!


なお、現在も、石川ジャイ子選手が、女子選手に黒星をとられたのは、この一戦のみとなっております。


マッスルビーナス4周年大会、同期、成宮真希とのタッグで、藤本つかさ&志田光のもつ、レイナ世界タッグのタイトルマッチに、初挑戦。

その後も、チェリーとのタッグで、リボンタッグに挑戦するなど、合計8度、タッグ戦線をにぎわせるも、全て破れ、生涯無冠で終えると思われたが・・・・

本日、24の瞳王座に挑戦、第5代24の瞳王座に認定、見事、有終の美をなしとけた。


兼業レスラーとして、プロレスのみならず、にじの会でも、重要なポジションで激務をこなし、フルマラソン参加、バンド活動、休み無く駆け抜けた4年間であった。

デビュー年齢36才、遅咲きデビュー。


兼業であることに甘えず、駆け抜けたレスラー人生。

その内藤メアリの背中は、多くの選手の見本となり、何事にも諦めない不屈の精神は、今後もアイスリボンに引き継がれていきます。



さめない悪夢のような、突拍子もない行動、若い子、可愛い子を、無条件に憎む、その醜い輝き、まさに女40狂い咲きを体現する存在でした。

ナンバーワンではなく、オンリーワン!

その存在感は、リングを去った後も、リング上に、私たちの心に、一生刻まれることでしょう。

ありがとう、内藤メアリ。

さようなら、内藤メアリ。

だまらっしゃい、内藤メアリ。



あ。写真間違えた!!




だまらっしゃい!内藤メアリ!