「障害がある」という言葉には色々な意味合いがあって障害名もその状態も様々なのですが、なぜか「障害者」という言葉で一括りにしてどの人(子)にも同じ対応しかできない先生がいます。
支援者と呼ばれる人や保護者の中にもそういう人はいますが…
例えば、身辺自立という問題や言葉かけにおいてよく目(耳)にするのは、
障害のある人。に対する勘違いをしていて、年相応に関わらない人が意外と多いです。
でもそれは、ある意味で偏見だと思います。
学校でよくあるのは、子どもが自分で判断できる学齢になっても先生は事ある毎に、親に判断を求めます。
例えば進路の事とか、特別な課外活動や宿泊学習への参加とか大きな行事は当たり前ですが、もっと小さな事でも色々…。
行事に参加するのは親ではなく子どもなのに、当の本人を飛び越えて事ある毎に親に意見を求めます。
障害があってもなくても参加するのが子どもである以上、先ずその子がどう思っているのか?…が一番大切だと思うのですが、その順番が違うのです。
「子どもは何と言っていますか?」とか、「子どもに聞いて下さい」といつも言っていますが、それだけでは足りないのか「お母さんは?」と必ず聞かれます。
障害があってもなくても子どもでも自分の意思も意見もあるのに、障害のある子(人)に正しい判断ができないと思っているかの様な確認作業。小学低学年ならまだしも、高学年や中学生になっても或いは高校生に対してさえ、そういう事があるのです。
定型発達であれば子どもが6歳、9歳、12歳、15歳、18歳と年齢が上がって行くに従って、先生の対応も子どもの年相応に変わっていくと思うのですが、障害児に対してはずっと同じ関わり方の先生がいます。
例えば、その子に(重い)知的障害がある場合、言葉づかいにそれが顕著に表れます。
(親や周りの人がそういう場合もあるのですが…)
障害があってもなくても6歳児と15歳は全然違います。
年相応に関わって欲しいと思います。
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