ひょんなことから「犬山城の外堀、どこかさっぱりわからなーい!(`Д´)」とツイートしたら、
フォロアーさんがご丁寧に地図に書き込みしてツイートしてくださいました
それを見た東海の城仲間が便乗。2日後に犬山城堀跡めぐりを決行しましたー
まずは犬山城の前身“木下城”へ。
あることは知ってましたが、わざわざ調べたことなくて行ったことなかったんです。
なんと、ほぼ毎月通っている犬山市図書館の真南でした
そもそも犬山駅にこんな親切な看板があること自体知らなかったしッ!
城址碑と説明版がありますが、端折ります~。
神社の裏に「土塁と堀の跡?」と思われる窪みや、
ネットで調べたところ、堀跡が水路になって残ってるとのことでしたが詳細不明~。
どうでもいいですが、左写真の左端に写ってる緑色の屋根が図書館でして、
地下駐車場へ出入りするたびにこの脇を通ってるのに(^^;)全然知らなかった・・・
では犬山城 堀跡めぐり開始~
堀跡めぐりには、山城以上にカメラは無用の長物です。
ただの道路を撮影していると、変な人だと思われること間違いなしですからね(-ω´-。)
フォロアーさんが書き込んでくれた地図と現地説明版の絵図&航空写真、
そして今回の踏査を織り交ぜて、私なりに犬山城の堀跡マップを作ってみました~
絵図については下の城下町にある絵図と、
犬山城白帝文庫 蔵 尾張国犬山城絵図(天和元年)を加味しています。
(国宝犬山城-城郭構造
の 右端の絵図)
(絵図や航空写真と見比べるために横倒しにしました)
青=堀跡 ピンク=絵図に見られる道 黄色=空堀
フォロアーさんが「迷い歩いたとき土塁跡っぽいものを見つけた」とのことで、案内していただきました。
土塁跡?
土塁というか堀の斜面なのかな?
天和元年の絵図を見ると、途中で堀が西に曲がり、北側は林が画かれています。
説明板の絵図は水色ではないものの、黒い線が北の堀まで延びて、林が画かれてませんね。
ということは、元和元年以後に改修されたのでしょうか?
ともあれ高低差があり、この東西が城内と城外の境目なのでしょう。
ちなみに、この近くにある“専念寺”は一時期 犬山城主だった平岩親吉さんの菩提寺です。
でも建立したのは池田恒興さんで、菩提寺だけどお墓はない模様
(暑すぎたことと、お墓もないってことだったのでスルー(^^;)
城好きさんに優しく、現地案内板にも内堀跡が記載されていますが、
斜めで描かれてますが、ちゃーんとジグザグのクランクが道として残っていました!
そんなこんなで城下町を歩き回って・・・
(暑過ぎて、1~2時間ごとに休憩して)せっかくなので天守へ
入ってみたら、ご覧のとおりの、どえりゃ~人!
聞けばこの日だけで1500人くらい来城されたらしいです{ナントぉ
そんなに人気だったのか、犬山城って・・
回廊で立ち止まることできないほどで、
小牧山城や岐阜城を目視できたけど、撮影できる状況じゃなかったよぉ
この日は久々に見晴らしが良くて、御岳も見えたそうです。
唯一撮れたのは、七曲門の休憩所から撮影した猿啄城の展望台(のハズ)
人込みから逃げるように天守を脱出して、城下踏査再開~。
七曲り
絵図で天守の北にジグザグで描かれた道があります。
搦手でしょうか?
現在は通行不可になってますが、たぶんここがその登口かと思われます。
犬山城の堀はほとんどが埋められ、見られるのは黒金門跡の前の空堀くらいです。
(完全に道路になり、高低差すらありません)
ですが、フォロアーさんが「この池は水堀一部ではないか」と推察され、
裏付けるべく、図書館で発掘調査書を読み漁ったら、見事的中でした!
それが名鉄ホテル敷地内にある池です(下地図の上の●)
手入れされてないようで、残っているうちのさらに一部しか目視できません。
発掘調査書や絵図によるとここから、やや西側にカーブして南に下っています。
ところが実際に歩いたところ、その推定値は高台になっており(下地図の●)
堀が通っていたとは考えにくく、その東の小さな道ではないかと、私は思います(下地図○)
ちなみに・・・、ここから大手門へはさらに高台になってまして、疑問ばかりです
そりゃ、堀でも多少は高低差あるでしょうが、17mもあるものなのかなぁ?
上から順に
● 堀の一部(標高41.1m)
○ kai推定の堀跡(標高42.8m)
● 絵図・調査書による推定の堀跡(標高47.8m)
● 大手門(標高58.1m)
何も残ってない城郭めぐりは苦手なのですが、歩いてみればなかなか楽しかったです
大阪城のように堀跡の高低差はありませんけど、小さいの徒歩で歩き回れます。
でも、やっぱ遠征したら堀跡めぐりより、より遺構が残ってる城に行きたいな~。
そのうち、移築門めぐりもしたいと思います