明倫館のシーンにて
『人はなぜ学ぶのか。
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学ぶのは、知識を得るためでも、職を得るためでも、出世のためでもない。
人にものを教えるためでも、人から尊敬されるためでもない。
己のためじゃ。己を磨くために、人は学ぶんじゃ。』(吉田寅次郎)
『禁書だからという理由だけで、中身も読まず葬ろうというのは、
学ぶべき者の正しい姿ではありません。
人はなぜ学ぶのか。
お役に就くためでも、与えられた役割を果たすためでもない。
かりそめの安泰に満足し、身の程をわきまえ、
この無知で、世間知らずで、何の役にも立たぬ己のまま生きるなど御免です。
なぜ学ぶのか。
この世の中のために、己がすべきことを知るために学ぶのです。
私はこの長州を、日本国を守りたい。
己を磨き、この国の役に立ちたい。
そのために学びたい。まだまだ学びたい。』(小田村伊之助)
『この明倫館。これからの時代にふさわしい学び舎にしたいと考えておる。
そのために、広く知識を求め、優秀な人材を育てたいと考えておる。
だが、急いてはならん。
人は古いもの、慣れ親しんだものを容易には捨てられん。
変わることを恐れるのもまた人の心じゃ。
焦らぬともまことに変わらねばならぬときには、変われるであろう。』(吉田寅次郎と小田村伊之助に対して、毛利敬親)
『学び』に対して考えさせられました。
「中身も読まず葬ろうというのは、学ぶべき者の正しい姿ではありません」
全く同感です。
最初に疑ったり信じたりせず、まず確認すること。そして、自分の頭で考えること。
それが大切だと僕は思います。
「変わることを恐れるのもまた人の心じゃ」
変化を嫌う気質は、人の大切な部分だと思います。
でも、変わらねばならないときには、変わることができるのも人だと思います。
城下町を吉田寅次郎と文が歩くシーンにて
吉田寅次郎 : 『のう、文(ふみ)。
「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり(しせいにしてうごかざるものはいまだこれあらざるなり)」
兄が一番好きな言葉じゃ。』
杉 文 : 『至誠?』
吉田寅次郎 : 『まごころのことじゃ。
まごころを尽くせば成せぬことはない。
気持ちは必ず伝わる。
のう、文。
人の本性は善だと俺は信じる。
じゃから、まごころを込めて人と向き合えば、
思いは必ず伝わるはずじゃ。』
僕もまごころは人に伝わると思います。
たとえ、相手が表の意識でわからなくても、
相手の身体と深い意識はそれをキャッチしていると僕は信じています。