こころから心配してくれる人って

どれだけいるんだろう。


その人の背景、過去を

探らなくても

今の姿で、

どれだけいるんだろう。


いない。かもしれない。


自分語りは嫌い。

自分嫌い。

過去はなくしたい。

なんならなぜ生まれた?

そんなひねくれ。


過去は変えられない


けど、

わたしの憩いだったアメブロ。

ブログにスクワレタ。

犬ブログだった。

チワワのここちゃん。

だから、わたしはここまま。


コメントしたり会ったり

プレゼントしたりもらったり

優しいコメントくれたり

あの頃は健全だったなー。


このわたしのちっさい世界に

おっきい愛たっぷりを

持った人がいた。


過去を話すことは怖い。

それはやっぱり

ココロナイコトバを

かけられてたから。

わたしには

どうもできないこと

運命?

そりゃいいこともあったよ

でも、それ話すと

違う目でみるでしょ。

好奇心しかないでしょ。

相手を知りたいんじゃなくて

ただの好奇。

そんなことあったから

そればかりだから怖い。

嫌われてたくない。

だってわたしは、

あなたを好きだから。

けど

好きだからこそ

話したい。

わかってほしい。

そんなジレンマで生きてきた。

わたしに全てを話してくれた友。

だから、引き換えに話すね、

なんて、

したくないやん。

苦しくてさ。

嘘ついてるみたいでさ。

どうでもいいってなるのはいつ?

自分が強くなったとき?

地位や名誉あるとき?

そんなんならむり。


ただその時その場のタイミングで

であえて、はなせて、

それでいい。


話せたのは

6人くらいか。


1人は疎遠になったな。


でも、大好きだったな。

たのしかったな。

一緒にいつも遊んだね。

夜中まで遊んだね。

ああ、


やだやだ。


このブログだけが

私の世界だったときがあった。


わたしがほんとに

これからぬけだすのは

いつだろ。

この世界から

いなくなる時かな。

だったら

結局話せなかったってなるじゃん。

話さなくていいけどさ。

でもさ、

自分ってさ、

生まれたときからあるやん。

生まれる前かもやん。


これはわたしの

一生のテーマ。


よくわからん話をしまして。

謎のままで、ごきげんよう。