2007年7月末  脳幹出血発症 出血部位は橋、出血量500円玉より大

          人工呼吸器、ドレナージ

          約2週間の昏睡後、うっすら目を開ける

          HCUに移ってから右目充血はじまる

          3週間目から手足の拘縮予防リハビリ30分

          連日しゃっくりで全身を揺らす

          シャントを拒否して、ドレナージを外す→大量の汗

          転院1週間前、強制的に人工呼吸器を外す


     8月末  転院 

          翌々日から端座位のリハビリ開始


     
<<半年間は、家族以外の面会は、ご遠慮頂いた>>


      10月  右手足不随意運動はじまる

           立位、ギャッヂUP、車椅子乗車で体を立てる

      12月  気管切開の痕が膿み、手術

2008年 5月  右顔面麻痺で右目閉眼できず、右目MRSA感染

      12月  右目角膜移植手術

2009年 1月  右目瞼に錘をつける手術

退職

       3月  退院に向けて胃ろう増設手術

       4月  退院



その時々で、沢山の承諾書を書いたり、役所に申請したり、いままで無縁だった世界。


発症時、子供達は、大学生・浪人・中学生、
下の2人は、進路を決めなければいけない重要な時期
ほったらかし状態だった。
小さなことも大きなことも自分で決めなければいけない重圧で苦しかった。
いつも、頭が重苦しく、私も倒れるような恐怖を感じていた。
気丈にしていたが、トイレに入ったり、親戚の優しい言葉には涙が溢れた。



ブログを始めるほどに気持ちの余裕が出来たのも、最近の事。
子供達は、社会人と大学生が2人になり、
現在は、私の精神的な支えに成ってくれている。


同じような病に倒れた家族のブログを見させて頂く度に
苦しかった思いがよみがえる。
脳疾患の場合、一人一人症状・障害が違うので、
それぞれに大変な思いを抱えているのだな、と、読ませていただいている。
医療の進歩もどうなの??と思ってしまう自分も居たりする。

でも、愚痴をこぼしながらでも、負けないで、闘っていく。



右目が最近又トラブルを抱えている件で、病院からTEL.
とりあえず、以前の対処方法で・・とお願いした。