発症後1年たってもグタグタだった。
1年半経ったとき、リハ責任者から今後どうするつもりなのか?
と、遠回しに聞かれたとき、これ以上出来ませんよと言われたと思った。


病棟看護師さんたちも、慣れてきてルーズに成っているとも思った。
これ以上病院に居ても、良くならないとも思った。
自分に何ができる訳でも無いのに・・・。


退院して、在宅にしたいと言うと、一様に「無理だよ」だった。
普通、主人のような状態なら、施設で看てもらうとも言われた。

やっと命を繋いでもらっていた。
尿路感染症や肺炎、角膜移植など様々な治療をしていただいた。
少し安定したといった所で1年半経っていた。
まだまだ意思の疎通もしっかり出来てはいなかったけれど、
長く生きられないなら、家で看てあげようという気持ちもあった。
その時の覚悟は、
「パパの命の最後のストッパーを外してしまうのは私に成るのだな?」
だった。
死はとても近く有った。


グタグタでもリハビリを続けたかった。
「在宅にして、通ってくる分にはリハビリは、して上げられます」と言われて、
無謀にも『毎日来ます』と答えていた。


同じような病気の先輩たちが、私は5年、7年、10年、と聞いて
そんなに長い年月は、自分には想像できなかった。
しかし、夏が来ると丸9年になろうとしている今、それほど長い年月を費やしているように感じない。
どれだけ良くなったか?と問われても
よそ様と比べると、それだけ??と思われるレベルでしかない。
毎日、毎週、スケジュールをこなしてきただけ。



最近、リハビリをしながら先生たちと話していて、
女の子「この病院で、一番重症なのはパパ!」というと、
どの先生たちもわんわん「そうですね」と答える。
さらに、
女の子「良く生きていたよね~?」と言うと
わんわん「出血量からすると、本当にそうですよね?」

最初のころを知る先生も少なくなった。




こちらの真剣さや一生懸命さというのが、通常のコースだけではない道を開いてくれるものだな?と思う。
ネットで発信してくださる方達の情報を味方につけて、こんなやりかたは出来ないか?こうしているひともいる、こんなのは使えないのか?と提案して来た。
案外先生達は知らない事が多い。
ドンドン便利なもの・新しいものが出てきているので、利用者の方が勉強して提案する必要が有る様に思う。
具体的にコレを使ってみたい、コレがほしいというとあっさり道が開けるけれど、お任せにしていると、発展していかない気がする。
やっぱり、当事者とは温度差がある。


少しずつ、回復しているパパを劇的に変えることは、無理にしても
これからも、回復し続けるのを支えて行こうと思う。
わずかな違いも積み重ねて行けば、何とかなるサ!!!